ここ化野は平安期から江戸期にかけて、「東の鳥辺野」、「北の蓮台野」と並び「西の化野」と呼ばれていた京都の風葬や土葬が行われた葬送の地であり、何百年という歳月を経て風葬で野晒となっていた遺骸や無縁仏となって化野の山野に散乱していた石仏を明治中期、地元の協力で念仏寺の境内に集められ、人々が釈尊宝塔説法を聴くが如くに石仏を配列し祀られたものです。千灯供養はこの境内に祀る8000躰ともいわれる無縁仏に蝋燭をお供えする行事で、地蔵盆の夕刻よりおこなわれ、読経の流れるなか、蝋燭の炎に揺れる石仏群の影は西方極楽浄土の具現ともいわれ、京都の夏の終わりを告げる行事とされています。
by fushimi_no_occhan
| 2009-08-27 10:52
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