人気ブログランキング | 話題のタグを見る

悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 ) (2009年08月06日)

悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23263814.jpg
特にお宮さんの神事や、有名な蹴鞠、七夕の奉納行事もない普通の日だったのですが、今出川堀川を東へ少し行ったところにある白峯神宮さんをお参りしてきました。このお宮さんは1868(明治1)年の創建で、悲運の天皇と云われている崇徳、淳仁両天皇を主祭神とし、元々は白峯宮と号していたものを、1940(昭和15)年に官幣大社に列せられ、「白峯神宮」と神宮号を名乗るお宮さんとなったものです。この地は元々宮廷遊びの一つ、蹴鞠の宗家であった公家飛鳥井家の邸宅跡と云われている所で、飛鳥井家の守護神として祀られていた精大明神を祭神とする地主社が、現在白峯神宮の境内三社(潜龍社、伴緒社、地主社)の一つとして祀られ、蹴鞠道の神様として崇められています。その関係で、現在ではサッカーの守護神として、Jリーグ関係者、特に京都サンガFCの守護神となっている他、全国的に球技に係わるスポーツ関係者の間で広く知られるようになった神社です。奉納されている多くの球技用ボールの中には、珍しいセパタクローのボールもありました。
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23271426.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23272249.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23272981.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23273846.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23274543.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23275345.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_2328088.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23281056.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23281782.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23282836.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23283590.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23284326.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23285143.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_2329111.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_2329825.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23291667.jpg
悲運の天皇、崇徳天皇とは1123(保安4)年に第75代天皇に即位。保元の乱(1156)の戦いに敗れ、四国讃岐へ配流、その地で崩御。御陵は白峯陵(香川県坂出市)が造営され奉葬されています(四国にある唯一の天皇陵)。その後、幕末になった1866(慶応2)年孝明天皇は幕府へ、崇徳天皇の霊を慰めるため京都に移すよう勅命を発っせられますが、その孝明天皇が崩御され、それを継いだ明治天皇が1868(明治1)年に公家飛鳥井家邸跡を社地とされ、崇徳天皇の神霊を迎え白峯宮として創建されたものです(歴史的には新しい神社です)。神社の表門が他の神社のような楼門ではなく公家屋敷風の門と築地塀になっているのは、飛鳥井家邸跡を神社としたためで、公家飛鳥井家邸の遺構でもあります。
次いで、1873(明治6)年には、奈良期に起きた時の行政改革への抵抗とされる藤原仲麻呂の乱に連座したという謀略で淡路に配流され、そこで崩御された第47代淳仁天皇(配流により天皇格は剥奪、淡路廃帝と称せられていましたが、1870(明治3)年に明治天皇により第47代淳仁天皇として追号されたものです)の神霊を淡路(兵庫県南淡路市)から迎えて合祀され、現在に至っています。いずれも悲運の天皇とされる両天皇を祀る白峯神宮です。

[ 参考追記 ]
東山の祇園花街、花見小路の東側(甲部歌舞錬場の裏)に「崇徳天皇御廟」があります。白峯神宮さんは、この御廟の管理社でもあります。この御廟は、崇徳天皇の寵愛厚かった阿波内侍(建礼門院の侍女)が、天皇の遺髪をもらいこの地に塚を築き霊を慰めたと伝わるところです。さらに、この御廟のすぐ南に、悪縁切りの神様で、また毎年秋に行われ、女の時代祭とも言われている「櫛祭」でも有名な東山の「安井金比羅宮」があります。この神社も崇徳天皇が主祭神です。この両者は白峯神宮さんよりもずぅ~と以前からのものです。
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_2330115.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_2330823.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23301589.jpg
悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社、蹴鞠の神様 (西陣 白峯神宮 )  (2009年08月06日) _c0119555_23302511.jpg

by fushimi_no_occhan | 2009-08-06 10:26


<< 持明院統の拠点 持明院仙洞御所... 緑いっぱい、夏の大原の里 (大... >>