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伏見の油懸地蔵さん (伏見 西岸寺 ) (2009年03月12日)

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伏見大手筋通界隈のお寺さんシリーズ、ここも大手筋商店街から少し離れますが、昨日の西養寺さんから再び、竹田街道を南へ戻ります。大手筋を過ぎて最初の信号のある交差点、角の京菓子処駿河屋さんを左折、東方向へ少し行きますと左手奥まったところ、伏見区下油掛町に小さなお寺さんがあります。浄土宗の油懸山地蔵院西岸寺というお寺さんです。と言うよりもその名が町名にもなっている伏見の「油懸地蔵さん」の通称名で良く知られている、黒光りしたお地蔵さんを祀るお寺さんです。境内は最近、地蔵堂以外の本堂、住居部分が全て建替えられ、また前面余地は全て駐車場に変わっており、地蔵堂以外は昔の面影はありません。
寺は地蔵尊信仰の篤かった第92代伏見天皇(1265-1317)により、1317(文保1)年伏見院の別御殿(現在地)が下賜され、ここに地蔵尊を元々あった下三栖から移し地蔵院の院号を賜ったのがはじめとされていますが、浄土宗の寺としては1590(天正18)年に雲海上人が創建したとされています。油懸け地蔵さんの由来については、先刻ご承知のことですが、その昔、山崎の油商人がこの寺の門前で転び、油桶の油を流してしまい、途方にくれながらこぼした油を目の前のお地蔵さんに懸け拝んだところ、以降商売が順風満帆に行ったというお話。その話が商売人の間で広まり、お地蔵さんに油を懸けて商売繁盛の願をかける信仰が広まったと言うことで、長い年月の中で油まみれの御体が、時が経つことで黒光りになられたものです。今も黒光りのお地蔵さんを祀る祭壇には沢山のてんぷら油がお供えされているところが微笑ましい。
ところで、境内の片隅に芭蕉塚と句碑(1805(文化2)年建立)があります。時の和尚さん、第三世住持任口上人は芭蕉とは俳句仲間であったようで、1685(貞享2)年、芭蕉が上人を訪ねた際、上人の高徳を称え、伏見桃山の桃に事寄せて「我衣に ふしみの桃の雫せよ 芭蕉」と詠じたとのことです。ここの近所の松本酒造さんブランドの冷酒「桃の滴」もここから来ているのかな。
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なお、ここより北、京阪本線藤森駅近く、本町通の深草直違橋2丁目付近に同名の西岸寺さんがあります。こちらは浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺さんで、かつては「花園御殿」と言われていたところ、宗祖親鸞、玉日姫、九条関白兼実の旧跡とされているところです。

話は戻りますが、西岸寺さんへ来た道、竹田街道との交差点の京菓子処駿河屋さんの軒先に「我国に於ける 電気鉄道事業の発祥の地」とある標石があります。この地は1985(明治28)年2月1日京都電気鉄道(株)が下京区東洞院通東塩小路、旧東海道線踏切南側からここ伏見区下油掛町(旧伏見市油掛通)まで電気鉄道事業(チンチン電車)を日本で最初に開業した伏見側終点の停留所のあった所です。これは1895(明治28)年左京区岡崎公園一帯で開かれた内国博覧会へ伏見港へ上陸する観覧客の輸送を目的とした当時の巨大プロジェクトの一つ(琵琶湖疏水の開削、水力発電所の建設、電気鉄道事業の立上、平安神宮の造営等々)。この電気鉄道は後に京都市が買収、京都市交通局営業の市内全域に亘る市民の足となる市電の一路線となり1970(昭和45)年まで営業運行していました。
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# by fushimi_no_occhan | 2009-03-12 10:45

真宗系最古で典型的な真宗様式の仏間のあるお寺さん (伏見 西養寺 ) (2009年03月11日)

伏見大手筋通界隈のお寺さんシリーズで、大手筋通から少し離れますが、西大手筋通と京都の南北の幹線道路の一つ竹田街道との交差点を北へ月桂冠昭和蔵という大きな酒造工場沿いに行きますと、道路は西へ直角に左折、さらに少し行って今度は北へカギ型に右折し、疎水に架かる橋、土橋へと至ります。そのガギ型に曲がる角、伏見区肥後町にあるのが浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺さん、西養寺さんです。1632(寛永9)年に本山より仏像と寺号を賜ったことで創建されたとのことですが、詳細は判りません。ただこのお寺さんの本堂が1693(元禄6)年から1710(宝永7)年まで長期間かけて伏見の棟梁藤原父子の造作と言われているもので、真宗系の一般寺院の中では最古といわれかつ、内陣などの仏間構成が典型的な真宗様式の構造となっているそうです。一度拝観したいものです。市の指定文化財となっています。
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# by fushimi_no_occhan | 2009-03-11 11:41

大手筋商店街のお寺さん (伏見 本教寺、大光寺 ) (2009年03月10日)

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伏見大手筋通界隈のお寺さんが続きます。昨今のご時勢、全国的には街中商店街はその多くがシャッター街と揶揄されるように、明かりが消えたお店が続き、衰退が否めないようですが、ここ伏見城城下町であった頃、日本で最初の金融センタ街(伏見銀座発祥の地の標石があります)でもあり、現在では東端は京阪本線伏見桃山駅から西端が納屋町通の間、東西直線全長約400m、日本で初めて太陽光発電パネルで、アーケードの照明の電力を賄う設備を持つ大手筋通商店街は、日々相変わらず大勢の買い物客で賑わいを見せている未だ活気がる伏見地区では最大の商店街です。その商店街のアーケイドの続くなか、お店とお店の間の狭い露地の奥にもお寺さんがあります。場所柄、お寺さんの存在感は薄く、普段ショッピングをしている人たちもほとんど気にもかけない所です。しかし、この通りはかつての伏見城大手門に通じるメインストリートであったが故に、この付近には桃山文化を今に伝える建物が現存している地域でもあります。以下にご案内します。
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日蓮宗 福昌山本教寺(「洛陽十二支妙見巡り」七番「午(南)」)
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大手筋通商店街アーケードの中程(伏見区東大手町 商店街三番街区 南側)に山号を福昌山と号す日蓮宗本法寺派のお寺さん本教寺さんがあります。1594(文禄3)年日新上人の法孫日受上人が西浜堺町(伏見区)に創建したお寺さんです。1614(慶長19)年徳川家康の二女督姫が16才で姫路城主池田輝政のもと入室の際に、その屋敷あとが寄進されて現在地に移転したとのことです。本堂は、1716(享保1)年頃関白近衛家の堀川御殿が寄進移築されたもので、入母屋造、千鳥破風に唐破風のひさしを持つ豪壮華麗な桃山期の建築様式を今に残す建物と言われています。境内山門を潜った右手には、1690(元禄3)年頃の建築とされている妙見宮のお堂「開運処」があり、姫路城主池田家伝来の北辰妙見本尊(北極星、北斗七星を神格化、宇宙万物の運気を司る菩薩)が祀られ、池田家祈願所とされていました。現在、本教寺さんは開運除厄の「大手筋の妙見さん」として「洛陽十二支妙見巡り」の七番目「午(南)」の寺として信仰を集めています。また本教寺さんは、督姫手植えの牡丹のある寺、「慶長牡丹の寺」としても知られています。そして、境内にはその広さには似つかわしくない楠の巨木(区民誇りの木に指定)があります。
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[ 参考注記 ] :「洛陽十二支妙見巡り」の京都日蓮宗12ヶ寺
1番 子(北)西陣の妙見宮(善行院) 上御霊通新町下ル西入
2番 丑(北北東)出町の妙見宮(本満寺) 上寺町通の最南端、寺町今出川上ル、本満寺山門手前左手
3番 寅(東北東)修学院の妙見さん(道入寺) 修学院茶屋ノ前町
4番 卯(東)鹿ケ谷の妙見さん(霊鑑寺) 哲学の道中ほど、東山三十六峰の麓
5番 辰(東南東)岡崎の妙見さん(満願寺) 修学院茶屋ノ前町
6番 巳(南南東)清水の妙見宮(日体寺) 東山清水4丁目
7番 午(南)伏見大手筋の妙見さん(本教寺) 伏見区東大手町 商店街三番街区南側
8番 未(南南西)未の方の妙見さん(法華寺) 島原西新屋敷中之町
9番 申(西南西)島原の妙見さん(慈雲寺) 下松屋町五条下ル薮之内
10番 酉(西)小倉山の妙見宮(常寂光寺) 嵯峨野散策路中ほど
11番 戌(西北西)鳴滝の妙見宮(三宝寺) 鳴滝松本町
12番 亥(北北西)鷹峯の岩戸妙見宮(円成寺)鷹峰北鷹峰町、光悦寺の真向い、源光庵の隣

浄土宗 大光寺(「手接の薬師」)
本教寺さんから少し西へ、大手筋通商店街の四番街区北側(伏見区伯耆(ほうき)町)には浄土宗大光寺さんがあります。1260(文応1)年寛海上人が桃山町本多上野(旧堀内村)に創建。寛政年間に現在地に移転したと伝えられています。商店街のお店の間にある山門を潜るといきなり正面に本堂があり、その右側には薬師堂があります、実はこの薬師堂が時期的には比較的新しく明治末期になって、華頂宮(明治維新、伏見宮邦家親王の第12王子博経親王、落飾し知恩院門跡入寺、尊秀入道親王、後に還俗し華頂宮家を創設)家旧御殿を移築した建物とのことで、これも桃山様式の建物とされています。この薬師堂には薬師如来像が安置されていますが、これは奈良三笠の薬師寺より移したと伝わる薬師如来像「手接の薬師」と云われ、耳の病や安産祈願の御利益があると云われています。
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# by fushimi_no_occhan | 2009-03-10 22:01

「木挽町の金比羅さん」 (伏見 宝福寺 ) (2009年03月09日)

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伏見大手筋通界隈のお寺さんが続きます。先の松本酒造さんの塀沿いに北へ行くと、伏見区西大文字町(旧町名 木挽町)に朱塗りの赤門のある久祥山と号す曹洞宗の宝福寺というお寺さんがあります。かつて伏見の街が港町であった時代、三十石舟で伏見港に着いた旅人がよく参詣したと言われ「木挽町の金比羅さん」と知られているお寺さんです。現在は参禅道場となっています。
もとは真言宗で、伏見奉行所が管轄する伏見九郷(九ヶ村)の一つ、森村に大廣冨明法師を開山として創建された金比羅大権現を祀る寺ですが、応仁の乱(1467-1477)の兵火で被災、末寺の瑞応院に寺籍を移管。1599(慶長4)年に薩摩国(鹿児島県)の宝福寺第11代住持日孝芳旭大和尚を開山として招聘し久祥山宝福寺と号す曹洞宗の寺として再興しています。金毘羅堂は、1620(元和6)年の伏見城廃城の際、建物の一部を移設したものとされています。また、太閤秀吉と淀君(茶々)が「子授け成就」の祈願をして、秀頼を授かったという「陰陽石」なども移設されているとか。境内には道元禅師の足跡250km(京都から福井県永平寺まで)を行脚したことを記念する顕彰碑があります(1996(平成8)年建立)。
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# by fushimi_no_occhan | 2009-03-09 16:54

「痰切り地蔵」を祀る法華宗の寺 (伏見 本成寺 ) (2009年03月08日)

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伏見のメインストリート大手筋通から北へ3つ目の道路、丹波橋通と新町通の角を少し西に入ったところ、伏見区石屋町に2007年6月21日のブログでご案内した浄土宗の勝念寺(天明義民 柴屋伊兵衛墓所 )さんがありますが、その真向かいに妙榮山と号す法華宗の本成寺さんがあります。このあたりになると京都を紹介しておられる多くのブログでもほとんど取り上げられない、当に町内のお寺さんといったところですが、このお寺さんの御由緒も歴史的には大変古いものがあります。京都の法華宗の寺と言えば、そう中京区寺町の法華宗大本山本能寺に関係し、現在同寺の末寺となっています。天下統一を目論んでいた信長が散った1582(天正10)年の「本能寺の変」のあと、同寺の再建を果たし、本能寺中興の祖とされる日逕上人により、1597(慶長2)年に伏見区上板橋中之町に創建されたお寺さんです。その後、1636(寛永13)年に法華経千部読誦心願成就の篤信者の寄進により現在地に移転したとされています。境内地蔵堂には、伝小野篁作といわれ、古来から「痰切り地蔵」として地域の信仰を集めていた木造地蔵菩薩像一体が安置されています。また山門脇の池には「妙榮水」と呼ばれる伏見の名水が湧き出ています。
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# by fushimi_no_occhan | 2009-03-08 11:22