<   2010年 08月 ( 13 )   > この月の画像一覧

復元大極殿、朱雀門 「光と灯りのフェア」+満月 (奈良 平城遷都1300年祭 ) (2010年08月27日)

c0119555_20424894.jpg
c0119555_20425688.jpg
c0119555_2043293.jpg
c0119555_20431149.jpg
c0119555_2043198.jpg
c0119555_20432664.jpg
c0119555_20433374.jpg
c0119555_20434047.jpg
c0119555_20434787.jpg
c0119555_20435486.jpg
c0119555_2044091.jpg
c0119555_2044741.jpg
c0119555_20441442.jpg
c0119555_20442136.jpg
c0119555_20442881.jpg
c0119555_20443686.jpg
c0119555_20444324.jpg
c0119555_20444984.jpg
c0119555_20445658.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-27 10:41

復元大極殿、朱雀門 (奈良 平城遷都1300年祭 世界遺産「平城宮跡」 ) (2010年08月26日)

「日本のはじまりの奈良」をテーマとした「平城遷都1300年祭」が、第一次大極殿正殿が復原竣工した、広大な敷地の世界遺産「平城宮跡」(特別史跡・国営歴史公園)をメイン会場として始まっています。東大阪市で用事がありましたので、その帰路の途中立ち寄りました。例によって、この種のイベントは人、人、人の波だろうと思いつつ臨時駐車場から連絡シャトルバスに乗り会場へ行きました。しかし予想に反し、会場のだだっ広さもありガラガラの観、行列、待ち時間も無く、全てマイペースで行動できました。しかし、連日の猛暑の中、暑すぎた!!。本当に暑かった。遠方からの観光のお客さん方は予定通りのスケジュールで行動しなければなりませんが、地元の方たちはこの猛暑で敬遠されたのか、この暑さで人出が少なかったかもしれません(また、この時期は子供達にとっては夏休みの宿題の追い込みの時期かも?)。会場は数年前に復元された朱雀門、東の端の復元東院に今回十数年がかりで復元された第一次大極殿(平成時代に建造された最大級の木造建築物?)に、平城京歴史館、遣唐使船実寸復元模型などがメイン会場として、それぞれが平城宮跡に点在。それと会場を突っ切る近鉄奈良線。あとはイベントのテントといったところです。会場は広さの割りに自然の木陰がほとんどありません。このため各所に多くの日陰小屋や、熱中症対策用緊急避難バス、無料飲料水の水飲み場などの配慮が見られました。
c0119555_2033372.jpg
c0119555_20331073.jpg
c0119555_20331752.jpg
c0119555_20332437.jpg
c0119555_20333297.jpg
c0119555_20333971.jpg
c0119555_20334686.jpg
c0119555_20335546.jpg
c0119555_2034312.jpg
c0119555_203493.jpg
c0119555_20341690.jpg
c0119555_20342235.jpg
c0119555_20343029.jpg
c0119555_20343774.jpg
c0119555_20344349.jpg
c0119555_20345083.jpg
c0119555_20345714.jpg
c0119555_2035528.jpg
c0119555_20351364.jpg
c0119555_20352153.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-26 20:37

酒蔵通り伏見灯ろうライトアップ (伏見 酒蔵のある街並 ) (2010年08月17日)

c0119555_2064753.jpg
c0119555_2065564.jpg
c0119555_207429.jpg
c0119555_2071215.jpg
c0119555_2072066.jpg
c0119555_2072745.jpg
c0119555_2073578.jpg
c0119555_2074364.jpg
c0119555_2075160.jpg
c0119555_2075892.jpg
c0119555_208577.jpg
c0119555_2081357.jpg
c0119555_2082118.jpg
c0119555_2082916.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-17 20:09

大文字2010 (京都御苑 清和院御門付近に於いて 19:59:58 点火~ ) (2010年08月16日)

c0119555_2365748.jpg
c0119555_237531.jpg
点火 19:59:58 ~
c0119555_2371492.jpg
c0119555_2372244.jpg
c0119555_2373061.jpg
c0119555_2373743.jpg
c0119555_2374520.jpg
c0119555_2375280.jpg
c0119555_238091.jpg
c0119555_238821.jpg
c0119555_2381836.jpg
c0119555_2382773.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-16 23:12

京の七夕 (堀川畔 二条城前) (2010年08月15日)

京の七夕と銘打って、堀川通の東側を流れる堀川畔で、竹のオブジェと光で演出された友禅流し、さらに竹のトンネルに仕込まれたLEDの銀河トンネルなどで演出された納涼イベントに行ってきました。
c0119555_2110351.jpg
c0119555_21104384.jpg
c0119555_2110493.jpg
c0119555_21105770.jpg
c0119555_2111414.jpg
c0119555_21111137.jpg
c0119555_21111813.jpg
c0119555_21112511.jpg
c0119555_21113380.jpg
c0119555_21114093.jpg
c0119555_21114858.jpg
c0119555_21115735.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-15 21:12

続・幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年08月14日)

翠紅館 幕末の攘夷運動の結集拠点、「翠紅館会議」が行われた跡
高台寺駐車場入口、維新の道参道入口の南側脇に翠紅館という元西本願寺の別邸の屋敷があります(現在 料亭「京大和」さんです)。内容はあまりよく知らないところですが、ここは幕末の頃、たびたび志士たちの会合の場所となっていたというところです。1863(文久3)年1月土佐藩武市半平太、長州藩井上聞多、久坂玄瑞ら譲夷急進派たちが結集。さらに、6月には長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守らもそれに加わり、志士代表者の会議で攘夷の具体的な方法が論議されたところです。世にこれを「翠紅館会議」と云われているものです。この攘夷運動の動きは幕府の弾圧が強まっていったにもかかわらず、次第に高まり、強力な反政府勢力となりつつあったのは云うに及ばないことです。
c0119555_22253942.jpg
c0119555_22254756.jpg
c0119555_22255617.jpg
c0119555_2226874.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-14 22:26

続・幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年08月13日)

坂本龍馬、中岡慎太郎の墓(霊山護国寺)、霊山歴史館「大龍馬展」
暑い、暑い、暑いこの時期、孫たちと、東山の霊山護国寺の東山の法面に広がる明治維新史跡公園中腹にある坂本龍馬、中岡慎太郎の墓、霊山歴史館へ行ってきました。とにかく暑かった。
c0119555_20512512.jpg
c0119555_20514064.jpg
c0119555_20515114.jpg
c0119555_20515887.jpg
c0119555_2052925.jpg
吉岡寅太郎の墓です。
c0119555_20522197.jpg
龍馬の墓の前面に広がる京都市内です。
c0119555_20522918.jpg
霊山歴史館です。現在、龍馬展が開催されています。
c0119555_20523688.jpg
c0119555_20524498.jpg
c0119555_20525268.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-13 20:58

続・幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年08月12日)

中岡慎太郎寓居之跡
土佐稲荷・岬神社を跡に蛸薬師通そのまま西へ進み、河原町通へ出ます。左折し河原町通を下りますと、四条河原町交差点の手前に「象」というとあぶらとり紙のお店があります。この店の前の片隅に、坂本龍馬と共に近江屋で遭難した陸援隊隊長の中岡慎太郎(土佐藩脱藩浪士、長州藩に亡命、都落ちしていた三条実美の衛士となる)が寄宿していた寓居跡の碑があります。ここはかつて土佐藩御用達の本屋さん菊屋という店で、近江屋は河原町通りを挟んですぐ北側にあります。中岡慎太郎はむしろ龍馬よりも、薩摩と長州を和解させ、雄藩連合による武力倒幕軍事同盟を結ぶことによって、倒幕へ発展させるべきと、薩長同盟、さらに薩土盟約の締結へ執念を燃やし奔走しています。薩摩と長州を和解に対して龍馬の転機が功を奏し西郷隆盛の重い腰を動かすことが出来、薩長同盟が実現したことになります。
c0119555_2352335.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-12 23:53

続・幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年08月11日)

土佐稲荷・岬神社
昨日のお龍さんの石碑のある木屋町通を少し南へ行ったところに、4月26日の当ブログにも取上げました土佐藩邸跡の石碑(中京区木屋町通蛸薬師西南角)のある横丁の通り(蛸薬師通)を河原町通へ抜ける途中に、当時龍馬もお参りしていたと云われている岬神社(通称 土佐稲荷・岬神社)という小さな祠があります。当社の神主は八坂神社宮司が兼務されているとかで、祇園祭の24日の花笠巡行では、当社の氏子の子供神輿も行列の一員として巡行に参加しています。
社伝では、1348(貞和4)年に備前国から移り住んだという人が鴨川の河原の岬に祠を建てて祀られたのが始まりとされています。その後、江戸時代初期に京都における諸藩の藩邸の整備が進み、土佐藩も当地付近に京都連絡事務所の性格で京屋敷が設けられています。その藩邸の鎮守社として藩邸内に岬神社が遷座される折、倉稲魂命(くらいなたまのもこと)・石栄神の二座を祭神としたため、通称土佐稲荷・岬神社といわれるようになったとされています。ここにも龍馬の銅像がありました。
c0119555_22505064.jpg
c0119555_2251174.jpg
c0119555_2251994.jpg
c0119555_22511739.jpg
c0119555_22512541.jpg
c0119555_22513358.jpg
c0119555_22514113.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-11 22:52

続・幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年08月10日)

祇園祭の期間中、祭事を求め市内各所をウロウロしていましたら、たまたま木屋町三条下ル付近東側、都会館というテナントビルの入口のところで、一本の石碑を見つけました。その道路に面した西側の碑文には「此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡」。’へぇ~、こんなスポットまで石碑が建碑されるのか・・・・’と、見ていると、その北側の面にも「此付近 京都府知事中井 弘 幕末期 寓居跡」なる碑文もありました。なんと一本で、共に幕末期、此の付近に居たという、二人の寓居跡を示す大変効率のよい石碑でした。
此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡
お龍さんは、もともと実家である青蓮院宮お抱えの医師楢崎家の住居である柳馬場三条下ルに住んでいましたが、実父の死去に伴い、以降残された家族は困窮離散。彼らを養う担い手として、木屋町三条下ルの此の付近に単身住居し、飯炊き女として各所の旅籠に出入りしていたということです。この頃、一家の借財の方に取られ大坂の遊郭に売り飛ばされた妹を連れ戻したという豪腕な姉のエピソードもあるようです。そして東山の大仏南門付近(現 京都国立博物館付近?)にあったという、土佐藩脱藩浪士の隠れ家に飯炊き女として出入りしていた時、はじめて龍馬との出会いがあったとされています。のち、お龍さんは、1864(元治1)年6月の「蛤御門の変」による大火で焼出され、縁あって伏見の旅籠寺田屋の宿女として奉公するようになります。以降の二人の運命については説明に及ばず。
此付近 京都府知事中井 弘 幕末期 寓居跡
中井 弘(1839-1894)という人物は、薩摩藩脱藩浪士、後藤象二郎や坂本龍馬らにも面識があり、幕末の頃、龍馬が襲撃されたあの近江屋にも投宿していたとか。英国へ密航、帰国後京都宇和島藩邸周旋方となる。英国公使パークス襲撃事件(1868(慶応4=明治1)年3月天皇謁見式に向う英国公使パークスの隊列が三条大橋付近五軒町で暴漢の襲撃を受ける事件)の鎮圧で功績あり。また、書家としても知られ、明治の社交場「鹿鳴館」の命名者とか。その後、滋賀県知事、貴族院議員を経て、第5代京都府知事(1893-1894)に就任。知事在任中は、第四回内国勧業博覧会(会場は岡崎)に尽力される。氏の概略プロフィールはこのようですが、明治政府の高官時代は奇行で有名だったようです。
c0119555_21381975.jpg
c0119555_2137423.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-08-10 21:39