<   2010年 04月 ( 33 )   > この月の画像一覧

牡丹の寺 (長岡京 乙訓寺 ) (2010年04月30日)

c0119555_21271997.jpg
長岡京市の住宅街の中に、朱塗りの山門(赤門)があり、向かって右側には、「弘法大師ゆかりの寺」と刻んだ石標がある乙訓寺さん。このお寺さんは、かつて長岡京、平安京造営に係わった洛西屈指の古刹です。山門を潜り、本堂への参道両側には本山の長谷寺(奈良)から移植された約2000本の牡丹が植えられており「牡丹寺」として有名です。毎年、今頃牡丹祭が行われます。また、このお寺さんは、桓武天皇がここ長岡京を10年で捨て、平安京への遷都を決意させた怨霊騒動の張本人、早良親王が幽閉された寺で、その供養碑があります。
c0119555_21274468.jpg
c0119555_2127571.jpg
c0119555_2128835.jpg
c0119555_21281699.jpg
c0119555_2128243.jpg
c0119555_2128348.jpg
c0119555_21284115.jpg
c0119555_2128494.jpg
c0119555_21285683.jpg
c0119555_2129432.jpg
c0119555_21291051.jpg
c0119555_21291881.jpg
c0119555_21292657.jpg
c0119555_21293327.jpg
c0119555_2129409.jpg
c0119555_21294849.jpg
c0119555_21295848.jpg
乙訓寺は真言宗豊山派長谷寺の末寺。寺御縁起伝によりますと、約1380年前に推古天皇の勅願によって、聖徳太子が 十一面観音菩薩を本尊として創建されたとのことです。784(延暦3)年桓武天皇は、平城京から此処長岡に都を移すとき、都の鎮守として、京内7大寺の筆頭としてこの乙訓寺を拡張していますが、長岡京造営が始まった785(延暦4)年工事の筆頭責任者藤原種継が暗殺されるという事件が発生、桓武天皇は皇太子早良親王(桓武天皇の弟)の仕業とし幽閉したのがこの乙訓寺です(親王は冤罪を訴え続けるも淡路島へ流罪。その途中で薨去)。その後も引き続き不幸、事件が発生、これらは全てこの親王の怨念だとし、794(延暦13)年桓武天皇は都を平安京へ遷都することを決意しています。長岡京は10年の短い期間で幕を閉じます。
その後、荒廃していた乙訓寺は811(弘仁2)年、唐から帰朝した弘法大師空海が嵯峨天皇から別当に任命され、この寺を復興。この時期、台頭していたもう一方の伝教大師最澄とも交流を深め、その後真言宗(空海)、天台宗(最澄)それぞれ日本仏教宗派の原点を確立され、以降の日本仏教に大きな影響を与えています。こういったことで乙訓寺は真言宗に由緒ある寺となっています。897(寛平9)年宇多野天皇の行宮とされ、堂塔が整備され、法皇寺と号していました。その後足利義満の時代、内紛により寺は南禅寺塔頭金地院の管理に。さらに、永禄年間(1558-1569)に、織田信長の兵火により焼亡。1693(元禄6)年江戸護持院住職の隆光が桂昌院の援助を得て1695(元禄7)年当寺を再興。徳川家の祈願寺として、寺を再び真言宗に改めています。この再建後の1705(宝永2)年に長谷寺の芳運房元貞が入寺、第一世住職となり、以降、明治期の廃物棄釈、第二次世界大戦後の農地改革によるGHQの寺領没収など苦難を経て現在に至るということです(隣接の市立長岡第三小学校の敷地の大部分は寺領であったとのこと)。現在の御本尊は無双八幡菩薩弘法合躰大師像(秘仏)。他、毘沙門天立像(重文)、十一面観音立像(市指定文化財)などの多くの文化財を所蔵しています。
c0119555_21301712.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-30 21:31

曲水の宴 (伏見 城南宮 平安の庭 遣り水畔 ) (2010年04月29日)

不順な天候が続いていましたが、GWに入って太陽が眩しい初夏を思わせる清清しい天気になりました。ここ伏見竹田の城南宮さんでは、瑞々しい青葉若葉の木漏れ日が差し込む神苑平安の庭、遣り水畔で、春季恒例の「曲水の宴」が行われ、琴の演奏や舞楽演奏による今様歌に合せた白拍子の優雅な舞の披露のあと、平安王朝の公達、女房達の装束をした歌人が歌を短冊にしたためたあと、流れ来る羽觴(うしょう)で運ばれてきた杯を取るといった所作など、風雅な詠遊びが再現され、タイムスリップした一時を過ごしました。最後は詠まれた歌を神官たちが、宮中歌会始で見られるような朗詠で歌が披露され御開きとなります。
c0119555_21241319.jpg
c0119555_21242168.jpg
c0119555_21242840.jpg
c0119555_21243654.jpg
c0119555_21245220.jpg
c0119555_2128425.jpg
c0119555_212538.jpg
c0119555_21251043.jpg
c0119555_21251810.jpg
c0119555_21252696.jpg
c0119555_21253414.jpg
c0119555_21254259.jpg
c0119555_21255192.jpg
c0119555_2126057.jpg
c0119555_212696.jpg
c0119555_21261811.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-29 21:29

山吹の社 (西京 醸造業守護の神 松尾大社の山吹 ) (2010年04月28日)

京都の東西のメインストリートの一つ四条通の西端、桂川に架かる松尾橋、阪急京都線の踏切を渡れば、すぐそこは松尾山の麓、大きな赤い鳥居の松尾大社(まつのおたいしゃ)さんです。醸造の神様として名高く、この時期は境内一帯が山吹で覆われ、黄金色に染まるお宮さんです。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称松尾神社、1950(昭和25)年に松尾大社に改称。大山咋神と中津島姫命を御祭神として祀られています。
c0119555_2222364.jpg
もともと平安遷都以前から、この地を縄張りとし、醸造のノウハウをもたらしたとされる渡来人、秦氏一族の守護神として、背後の松尾山(223m)の古社地といわれる山頂付近にある巨石を磐座として崇敬していたのが始まりで、701(大宝元)年に勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、磐座から神霊を移したとされています(現在は山腹の遥拝所からの拝礼のみ許されている)。平安遷都以降、松尾神は平安京西側の皇城鎮護の社として、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称されていました。一方、醸造のノウハウをもたらした事から醸造の祖神としても信仰され、境内奥の京の湧き水「亀の井」の水は酒造時に入れると酒が腐らないといわれ、現在も全国の蔵元から新酒の献酒、酒樽の奉納が行われています。この神社は、4月下旬頃境内を流れる一ノ井川沿いの山吹が有名で多くの参拝客で賑わいます。また5月のGWは松尾大社の例大祭で神輿の桂川渡御などがあります。
c0119555_22225342.jpg
c0119555_2223147.jpg
c0119555_2223921.jpg
c0119555_22231782.jpg
c0119555_22232587.jpg
c0119555_22233417.jpg
c0119555_22234290.jpg
c0119555_22235073.jpg
c0119555_2224060.jpg
c0119555_2224815.jpg
c0119555_22241581.jpg
c0119555_22242562.jpg
c0119555_22243357.jpg
c0119555_2224444.jpg
c0119555_22245420.jpg
c0119555_2225290.jpg
c0119555_2225932.jpg
c0119555_22252054.jpg
c0119555_22252748.jpg
c0119555_22253525.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-28 22:26

鳥羽の藤棚 (上鳥羽 鳥羽水環境保全センター 一般公開 ) (2010年04月27日)

毎年恒例の京都市上下水道局ご自慢の鳥羽水環境保全センターの藤棚の一般公開が始まりました。しかし今年の春の気候の不順から、花房は3分~5分咲きで、まだ見頃には数日かかるようでした。一般公開は29日までですので、見頃のピークは公開が終わってからになるでしょうね。残念。
c0119555_21421923.jpg
c0119555_21422762.jpg
c0119555_21423742.jpg
c0119555_21425211.jpg
c0119555_21425971.jpg
c0119555_2143770.jpg
c0119555_21431527.jpg
c0119555_21432326.jpg
c0119555_21433297.jpg
c0119555_21434196.jpg
c0119555_21434922.jpg
c0119555_2143593.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-27 21:44

幕末の京都、龍馬縁の地を訪ねて (2010年04月26日)

土佐藩邸跡 (中京区木屋町通蛸薬師西南角)
江戸時代初期から1871(明治4)年まで土佐藩主山内家の藩邸の京屋敷があった所。土佐勤王党武市瑞山(武市半平太)らが活躍した拠点。
c0119555_237378.jpg
c0119555_2375279.jpg

武市瑞山(武市半平太(月形半平太))寓居之跡 (中京区木屋町通三条上る東側)
土佐藩下士武市瑞山(武市半平太)、土佐勤王党を結成、尊王攘夷を主導。1862(文久2)年上洛、京都留守居役となる。この頃の京都滞在時の宅跡を示す碑。
c0119555_2381275.jpg
c0119555_2382840.jpg

坂本龍馬寓居之跡(材木商 酢屋) (中京区河原町通三条下ル1筋目東入北側)
京都の老舗材木商。龍馬が結社した海援隊の京都本部はこの二階こ置かれていた。
c0119555_238549.jpg
c0119555_239989.jpg

伏見寺田屋殉難九烈士之碑、坂本龍馬襲撃之地(旅籠寺田屋) (伏見区南浜町)
江戸末期からの伏見港の船宿寺田屋。薩摩藩士の定宿となっていた。1862(文久2)年4月、維新の先駈けとなった尊王攘夷の薩摩藩倒幕急進派誠忠組らがここ寺田屋で決起談合中、これを中止させようとする在京中の公武合体推進論者であった薩摩藩主島津久光公が急派した藩の鎮撫使とで同士討ちの戦闘が発生、世にいう「寺田屋騒動」。その時、上意討や、切腹した有馬新七ら9名が死亡、これを「薩摩九烈士」とし、寺田屋玄関脇のその標石がある(墓はこれより北へ1.5kmほどにある大黒寺にある)。そして4年後、1866(慶応2)年1月、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩三吉慎蔵と寺田屋二階の部屋で飲食中、’龍馬はん、はよう逃げとうくれやす!’入浴中の宿娘お龍(後に龍馬の妻)が、何やら外が騒がしいのに気づき、風呂場の格子から外を見ると、宿の周囲は伏見奉行所の幕府捕方が包囲している、咄嗟の機転で、裸同然で階段を駆け上り、止宿中の龍馬に危機を知らせた有名な史実の残る、坂本龍馬が定宿としていた船宿。
c0119555_2395079.jpg
c0119555_231061.jpg
c0119555_23101666.jpg

坂本龍馬 避難の材木小屋跡 (伏見区過書町大手橋西詰北側)
寺田屋二階に上がってきた捕り方と乱闘、龍馬はピストルを発射。三吉は槍にて応戦するも、龍馬は両手首を切られる重傷を負う。三吉はその龍馬を肩に掛け、寺田屋の裏口から脱出、隣家を通りぬけ逃走、濠川西浜の材木小屋忍び込み、龍馬をその小屋にねかせる。三吉はそこから北へ二丁ほどの濠川沿いの伏見薩摩藩邸に駆け込み事の急を知らせ救援を要請した。龍馬が潜んだとされる西浜の材木小屋は濠川の左岸南方にあったといわれている。
c0119555_23111037.jpg
c0119555_23112024.jpg
c0119555_23113332.jpg

薩摩島津伏見屋敷跡(坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難之跡) (伏見区東境町 現在:松山酒造工場)
龍馬が襲撃されたことは、薩摩藩邸へはすでにお龍が知らせていた。藩邸の留守居役の大山彦八は薩摩藩の旗印を掲げた船を出して龍馬の救助に成功。龍馬はこの伏見薩摩藩邸で西郷吉之助が差し向けた医者の手当てとお龍の介護を受け、1月29日まで伏見薩摩藩邸に滞在している。その後に西郷隆盛らとともに薩摩藩の蒸気船三邦丸に乗船し鹿児島へ、傷の治療をのため霧島温泉に投宿。これが、後に日本で最初の新婚旅行とされている。
c0119555_23123560.jpg
c0119555_2312514.jpg

佐久間象山先生、大村益次郎遭難之碑(中京区木屋町通三条角中島町)
信州松代藩士佐久間象山は西洋科学の積極導入で日本の殖産興国を主導、開国論者。1864(元治1)年に上洛し、公武合体に奔走するも1864(元治1)年7月11日にこの地で刺客により斬殺。長州藩士大村益次郎は医学者であり兵学者でもある。長州藩の軍事指導者、その功績から維新後、兵部大輔に任命、近代兵制樹立に尽力する一方廃刀論を唱えることで旧士族の反感を買い、1869(明治2)年にこの地付近で反対派士族の襲撃にあい、同年敗血症で死去。
c0119555_2313305.jpg
c0119555_23134340.jpg

坂本龍馬、中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡) (中京区河原町通蛸薬師下ル塩屋町)
1867(慶応3)年11月15日、幕府見廻組により、近江屋の2階で談笑中の坂本龍馬(海援隊)と中岡慎太郎(陸援隊)が暗殺される。
c0119555_2314812.jpg
c0119555_23141811.jpg

坂本龍馬、中岡慎太郎先生像(東山区円山公園内)
c0119555_2315388.jpg

桂小五郎像(長州藩邸跡) (中京区河原町通御池通上ル一之舟入町 現在:京都ホテルオークラ)
c0119555_23152572.jpg

料理旅館 幾松(桂小五郎寓居跡) (中京区木屋町通御池上ル上樵木町)
長州藩士桂小五郎とその愛人幾松(上京区三本木の芸妓)が共に住んでいた住居跡。小五郎は住居を長州藩邸から藩邸にほど近いこの地に寄宿、幾松と同棲。ここは、藩邸とは高瀬川と木屋町通を挟んですぐ向かい側に位置する。この幾松には、新選組、幕府捕り方に踏み込まれたときのための防備として、釣り天井、抜け床の間や鴨川への抜け道穴、などがあり現在も残っているとか。
c0119555_23161375.jpg

勝海舟の宿坊(常林寺) (左京区田中下柳町)
高野川と賀茂川の合流点左岸、出町付近の砂川の三軒寺の一つ、浄土宗の寺。幕末の頃、勝海舟が宿坊として利用していたといわれている。
c0119555_23164120.jpg
c0119555_2316496.jpg
c0119555_23165789.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-26 23:25

油菜&酒蔵のある町並 (伏見 東高瀬川畔 松本酒造 ) (2010年04月25日)

酒処、伏見を代表する風景、西大手筋通、東高瀬川畔にある松本酒造さんの酒蔵と油菜の風景です。実はここ数年、原因は判らなかったとの事ですが、東高瀬川堤防に自生していた油菜が突然姿を消し、お馴染みの風景が見られなくなっていましたが、昨年、松本酒造の社員さんが新たに油菜の種子を散布されたとかで、今年は見事に花が咲き、お馴染みの風景が蘇りました。
c0119555_101199.jpg
c0119555_1012895.jpg
c0119555_1013710.jpg
c0119555_1014677.jpg
c0119555_1015562.jpg
c0119555_102461.jpg
c0119555_102116.jpg
c0119555_1021984.jpg
c0119555_1022654.jpg
c0119555_1023464.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-25 09:59

長谷川等伯展 (東山 京都国立博物館 ) (2010年04月24日)

待ち遠しかった長谷川等伯展がいよいよ京都でも始まりました。特に著名な楓図壁貼付画(国宝 智積院収蔵)などは、京都では博物館とご近所の智積院の宝物館で何時でも鑑賞することは出来ますが、水墨画の最高傑作である松林図屏風画(国宝 東京国博所蔵)は、今回はじめて鑑賞することが出来ました。霧中に浮かぶ松林という非常に簡潔な構図ですが、それがかえって解説文の通り奥行きを感じさせる迫力ある画法に感心し、定刻まで見入っていました。長谷川等伯展は大変関心が高く、午前中は入館まで2時間待ちとの情報がありましたので、午後3時ごろに出向きました。30分待ちで入館することが出来ました。なお、今日からは急遽、平日の閉館時間を1時間延長されるそうです。
c0119555_21123625.jpg
c0119555_21124662.jpg
c0119555_21125486.jpg
c0119555_2113199.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-24 10:11

奈良 桜の名所 御嶽山大和本宮 (桜満開の境内 ) (2010年04月23日)

初めて訪れました。大渕池公園に隣接してある御嶽山大和本宮さんとは、江戸時代、木曽の御嶽山は当時の人々の心のより所として信仰が広まり、「御嶽講」が起こりました。これが明治になって、神道十三派の一つ神道系新宗教団体「御嶽教」として開教が認可され、東京に大本庁が設立されています。第二次大戦中、長野県木曽福島町に疎開 、教務を執っておられましたが手狭を理由に、その後、1965(昭和40)年に御神縁としての神武天皇金鵄神話の霊地として知られるここ大和の国、奈良市大渕町に御嶽山大和本宮社を建立、遷座されたとのことで、奈良の地では新しい神社です。ご祭神は御嶽大神(国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱)。南西側の大渕池公園と合わせて付近一帯は桜の名所となっています。
c0119555_20105412.jpg
c0119555_2011785.jpg
c0119555_20111531.jpg
c0119555_20112373.jpg
c0119555_20113149.jpg
c0119555_20113913.jpg
c0119555_20114776.jpg
c0119555_20115571.jpg
c0119555_2012310.jpg
c0119555_20121351.jpg
c0119555_20122218.jpg
c0119555_20123475.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-23 20:15

奈良 松柏美術館 (植村淳之展 ~鳥たちに魅せられて~ ) (2010年04月23日)

久し振りに、仲間たちと奈良を散策しました。近鉄奈良線学園前駅から奈良交通バスで約5分、大渕橋(松伯美術館前)〉下車、大渕橋を渡った所にある松伯美術館で開催されている「植村淳之展 ~鳥たちに魅せられて~」へ行ってきました。松伯美術館は上村松篁、淳之父子両画伯からの作品の寄贈と近畿日本鉄道株式会社からの基金出捐により1994(平成6)年に開館した近代絵画史上で著名な美人画の巨匠上村松園とその子、孫で野鳥をモチーフに多くの作品を残す松篁、淳之三代にわたる作品などの常設展示館です。この松柏美術館のある敷地は、元は1965(昭和40)年にかつての近鉄グループの重鎮佐伯勇氏の私邸として設計村野藤吾、施工大林組、作庭小島佐一で造営された豪邸です。瀟洒な建物の美術館はその一角に建設されたものです。邸宅そのものも現存しており、1998(平成10)年以降、庭園についても美術館の開館にあわせて、土日祝日に限り一般公開されています。庭園の紅枝垂桜や利休梅などが見頃でした。
c0119555_21204128.jpg
c0119555_21204929.jpg
c0119555_21205938.jpg
c0119555_2121712.jpg
c0119555_21211676.jpg
c0119555_21212462.jpg
c0119555_2121342.jpg
c0119555_21214364.jpg
c0119555_21215232.jpg
c0119555_2122291.jpg
c0119555_21221146.jpg
c0119555_21222127.jpg
c0119555_21222881.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-23 10:19

都路の桜便り2010 (都路の桜便り2010最終章 御室 仁和寺の桜 ) (2010年04月22日)

c0119555_1243823.jpg
都路の桜便り2010 もいよいよ最終段階です。超遅咲きで、特長は樹高が低く(人の背丈の1.5倍程度)、樹木の付け根から枝分かれしている独特な樹形で、満開時はその付け根付近から樹高いっぱいに花をつける独特の形状で有名な「御室桜」。真言宗御室派大本山、大内山と号す仁和寺(「旧御室御所」)さんの中門奥の桜苑の桜は、市内各所の桜がほぼ一巡した最後に満開を迎える名残の桜として、4月中旬以降が見頃となります。今年の京都の桜の時期は肌寒く冷たい雨天と初夏を思わせるような快晴の日と例年に無い寒暖の差が激しい天候が二三日の周期で繰返す異常な状態でしたが、訪問した今週初めは快晴で、桜の状態は見頃後半といったところで、御室桜の花吹雪が始まった状態でした。御室桜は樹高が低いため満開時は桜苑全体が雲海が立ち込めたようになります。その上に塔の頂部を見せる五重塔の光景は観光案内の定番の光景です。また参道両側には、紅八重桜、鬱金桜(黄桜)や御衣黄桜などの珍種も咲き誇っていました。
c0119555_1243244.jpg
c0119555_12433226.jpg
c0119555_1243467.jpg
c0119555_12435656.jpg
c0119555_1244345.jpg
c0119555_12441256.jpg
c0119555_12442084.jpg
c0119555_12442818.jpg
c0119555_12443588.jpg
c0119555_12444355.jpg
c0119555_12445082.jpg
c0119555_12445764.jpg
c0119555_1245789.jpg
c0119555_12451662.jpg
c0119555_12452383.jpg
c0119555_12453090.jpg
c0119555_12453856.jpg
c0119555_12454653.jpg
c0119555_12455451.jpg
c0119555_1246398.jpg
c0119555_12461031.jpg
c0119555_12461986.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2010-04-22 12:47