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道元禅師生誕の地 (伏見 誕生寺(村上源氏十家の筆頭格、久我家の旧跡 ) ) (2009年08月31日)

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パルスプラザから、その少し南の津知橋通を西へ進み、国道1号線赤池交差点を過ぎ、合流手前で隣接して流れる鴨川、天神川を渡り、さらに桂川の久世橋を渡りますと、橋の袂、桂川右岸に誕生寺を示す看板が見えてきます。この辺り一帯は久我地区という所。周囲は昔からの田畑や農家、新興住宅、工業団地などが混在しています。
この地にある誕生寺は、妙覚山と号する曹洞宗のお寺さんですが、正しくは西門脇にある標石に刻まれている寺号、誕生山妙覚寺が正式だそうです。寺号でお判りのごとく、このお寺さんは曹洞宗宗祖道元禅師の生誕の地とされる伏見区久我本町(村上源氏十家の筆頭格、久我家旧跡の地)に福井県の華厳山妙覚寺を移築して建立されたお寺さんです。この経緯については曹洞宗大本山永平寺第47世日置黙仙禅師によって1919(大正8)年ごろから計画されていましたが、途中、日置黙仙禅師の死去などで中断されたままでしたが、1982(昭和57)年から建設工事が再開され、1988(昭和63)年に本堂や庫裡など伽藍が完成した新しいお寺さんです。境内には本堂、山門、陀枳尼尊天堂(豊川稲荷堂)、庫裏、座禅堂、鐘楼等があります。そして2000(平成12)年に道元禅師のご生誕800年法要が営まれています。本堂には道元御尊像、妙覚寺開山玄透即中禅師像、日置黙仙禅師像が安置されています。なお、誕生寺は釈迦32禅刹、山城国一番になっています。
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[ 参考追記 ] 道元禅師と久我家:久我家は、村上源氏十家の筆頭格の家柄。公家(清華家)、華族(侯爵家)の家格。村上天皇の皇子具平親王の子資定(師房)が1020(寛仁4)年に臣籍降下、源姓を賜って師房と名のります。以降、嫡流が久我家を継いでいます。明治初期に居を東京に移すまで山城国愛宕郡久我(現:伏見区久我)に邸宅を構えていて、久我という家名は邸宅を構えた久我水閣が由来するとのこと。一族家系で、歴史上最も有名なのが、第7代当主源通親の嫡流(六男)、当地で生まれ幼くして出家した道元でしょう。道元は建仁寺にて修行を重ね、1223(貞応2)年南宋に渡り宋の曹洞宗を修学、1228(安貞2)年帰国。1233(天福1)年深草の地(後、宇治)に興聖寺を創建、日本曹洞宗を開宗します。このころから比叡山延暦寺の弾圧が始まり、このため越前国(福井県)の地頭波多野氏の助けで避難。1246(寛元4)年永平寺(現:曹洞宗大本山)を開創。1253(建長5)年病のため京都に戻り示寂しています。参考までに、その後の久我家第33代当主侯爵久我通顕の長女は女優久我美子(芸名=本名)さんです。曹洞宗系教育機関では駒澤大学、愛知学院大学、東北福祉大学他多数があります。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-31 00:27

パルスプラザ (京都府総合見本市会館 ) (2009年08月30日)

とうとうブログねたが底を突きました。京都では8月は地蔵盆が終わると主だった行事も無く、オッチャン達も少々夏バテ気味で出歩くのもオックウになり、新鮮なねたが底を突きました。お盆以降続いていた好天も一休みで、どんよりと曇った空から久しぶりに小雨がぱらつきました。・・・と、言うことで本日は近場のパルスプラザという建物までフラッと歩いてきました。この建物は以前から知ってはいましたが、来るのは初めてです。
このパルスプラザという’ハコモノ’、京都経済の活性化の諸施策の一環(洛南地区の産業集積地区における京都府の産業振興施策の拠点)ということで1987(昭和62年)に伏見区竹田鳥羽殿町(京セラ本社ビルの北隣)にオープンした大型展示会場、多目的コンベンションホールなどを備えた延床面積約2.1ha、地下1階地上5階建の府の施設です。場所的には伏見の旧市街地から外れた北西部、城南宮の南東部に当るところで、施設前の道路は4車線の油小路通、最近は京都高速なる都市高速も開通し、お役所の計画では、将来は高度情報化複合型産業の集中地区にしようとするエリヤであり、場所的にはまずまず申し分無いところに出来た施設です。施設は主に企業の新製品発表展示会や、大小の展示見本市などに利用されているようで、利用率はそこそこいっていると見られますが、同じような目的の施設の左京区岡崎の都メッセと比べて知名度が低く、衆人にはあまり知られていないように思えます。それでも、人気があるのが、京都骨董品市でしょうか。こちらさんとは徒歩でいけるご近所なので、骨董品市もいつでも行けるという感覚で、まだ一度も行ったことがありません(京都人の悪い癖?)。またこの地は、JR、地下鉄、私鉄などの鉄道交通網から少し離れており、車以外は大変不便なところです。この骨董品市が開催されている期間、車が殺到しますが施設の駐車場の収容台数に限度があり、周辺はしばしば交通混乱が起こっています。他府県の見本市会場は立派な駐車場が完備されている所もありますが、そういった面から、中途半端な施設と言わざるを得ません。次回の骨董品市には必ず行くことにしましょう。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-30 22:30

季節の移ろい (定点撮影の楽しみ その2 伏見桃山城天守閣 ) (2009年08月29日)

凡そ一年半程前に、’定点撮影の楽しみ’<その1>を当ブログにアップしていましたが、何を思い出したか、再び<その2>をアップします(ブログねたが無くなったんやな?)。今回は伏見桃山城の天守閣の南面について一年間の季節の移ろいです。毎日のウォーキングの途中、お城を同じコンデジ、同じ位置、同じ方向、同じ撮影条件で撮影したものです。この一年間で85ショットほど貯まりました。その中から20ショットほどチョイスし時系列的に並べて見ます。普段あまり気にもかけない見慣れた光景でも、このように、時間軸を短縮すると自然の営み、季節の移ろうがはっきりと見て取れます。残念ながら降雨時はウォーキングをしませんので、雨の風情のお城の画像はありません。またこの一年間は当地は雪が降りませんでしたので、積雪のお城の画像もありません。
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(08年09月08日 09:00 撮影)
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(08年09月24日 09:07 撮影)
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(08年10月18日 08:51 撮影)
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(08年11月01日 08:34 撮影)
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(08年11月10日 08:54 撮影)お城周辺の桜の葉が色付いています 伏見桃山城の紅葉はこちら、その1その2
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(08年11月22日 08:59 撮影)
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(08年12月09日 09:14 撮影)木々はすっかり葉を落としています
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(08年12月16日 09:19 撮影)
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(09年01月07日 09:27 撮影)昨年まで、大天守閣に取付てあった映画撮影のため擬似大阪城としての虎の図案の腰巻板、石垣上の白壁が撤去され、もとの伏見桃山城に戻りました。
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(09年01月14日 08:28 撮影)今朝は霧が出ていました
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(09年01月26日 09:06 撮影)昨夜の雪がうっすらと残っています 08年02月10日の雪景色はこちら
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(09年02月17日 09:07 撮影)
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(09年03月17日 09:10 撮影)
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(09年03月25日 09:09 撮影)
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(09年04月02日 08:59 撮影)桜の蕾が開花寸前です
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(09年04月09日 09:15 撮影)桜は満開です 伏見桃山城の桜 その1その2その3
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(09年04月24日 09:01 撮影)
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(09年05月25日 09:16 撮影)新緑に覆われています
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(09年06月23日 09:13 撮影)
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(09年07月09日 09:22 撮影)
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(09年08月27日 09:03 撮影)
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-29 10:49

京町屋 「無名舎」 (六角町 吉田邸 ) (2009年08月28日)

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中京区新町通六角下ル六角町、一帯は京呉服、反物などの典型的な問屋街で、祇園祭の山鉾北観音山(曳山)の鉾街にあり、ちょうど今から100年前の1909(明治42)年に建造されたという、標準的な京町屋(京商家の表屋造)があります。かつては白生地問屋を商っておられた吉田邸(現在も生活されている)ですが、現在「無名舎」という名で家屋内部を一般に公開され、実際の京町屋を現物で紹介されておられます。表屋造とは、通りに面した表は店舗(床は住居部からは一段低い)として、それから住居(前座敷、奥座敷)、離れ座敷、土蔵などが一直線に配置され、それぞれを繋げる庭(あるいは坪庭)が設けられています。そして一方には表の玄関から裏の土蔵まで一直線の通り土間(鰻の寝床)から成ります。土間は大屋根まで吹き抜けで、建屋の骨組構造が丸見えになっています。大屋根には明り取りの天窓があります。そしてこの土間には日常の生活に必要な炊事場やおくどさん、風呂、井戸、使用人用の便所などがあるといった配置構成です。この「無名舎」さんも、当にこのような配置構成でした。お邪魔した日は、残暑厳しい日中でしたが、室内は弱くも無く強くも無い心地よい冷風が吹く抜けていました。これは座敷と庭の組み合わせや、吹き抜けの通り土間から室内に自然対流を起こさせ冷風を呼び込むといった蒸し暑い京都の夏を過ごす先人の偉大なる知恵の結晶といったところでしょう(当時からエコな暮らしは始まっていた)。この建造物は1999(平成11)年に歴史的意匠建造物、2006(平成18)年に景観重要建造物として京都市の指定を受けておられます。
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「無名舎」の真向かいに「松坂屋」さんの屋号の看板を掲げた、江戸期の大店の建物があります。勿論大手百貨店の「松坂屋」さんの一部門です。京呉服の買付事業部門として、当時も、現在も商いをやっておられます。呉服産業の中心は当時も今も京都ですから、まさに現在で言う大規模店舗の産地直接買付を当時からやっておられたと言うことでしょう。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-28 10:12

千灯供養&愛宕古道街道灯し (嵯峨野 化野念仏寺、旧愛宕街道 ) (2009年08月27日)

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24日、京都の地蔵盆の行事の最終日、嵯峨野旧愛宕街道、右京区嵯峨鳥居本化野町にある数千躰の石仏群で知られ、平安期弘法大師空海が、五智山如来寺を創建したのが始まりとされ、その後法然上人の念仏道場、華西山東漸院念仏寺と称する浄土宗の寺となった、通称寺院名化野念仏寺さんでは無縁仏のお地蔵さんへ蝋燭の献灯を行う千灯供養が行われていました。
ここ化野は平安期から江戸期にかけて、「東の鳥辺野」、「北の蓮台野」と並び「西の化野」と呼ばれていた京都の風葬や土葬が行われた葬送の地であり、何百年という歳月を経て風葬で野晒となっていた遺骸や無縁仏となって化野の山野に散乱していた石仏を明治中期、地元の協力で念仏寺の境内に集められ、人々が釈尊宝塔説法を聴くが如くに石仏を配列し祀られたものです。千灯供養はこの境内に祀る8000躰ともいわれる無縁仏に蝋燭をお供えする行事で、地蔵盆の夕刻よりおこなわれ、読経の流れるなか、蝋燭の炎に揺れる石仏群の影は西方極楽浄土の具現ともいわれ、京都の夏の終わりを告げる行事とされています。
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化野念仏寺の千灯供養に合わせて、嵯峨野の夏の風物詩の一つ、「愛宕古道街道灯し」が、夕日が沈むころから、旧愛宕街道の鮎料理屋平野屋さん付近の愛宕神社一之鳥居から二尊院、清凉寺までの街道沿いに、嵯峨野保勝会、京都嵯峨芸大の学生さん他、地元の小中高校生が制作した素朴な絵柄の大小の行灯が並べられ、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている約1kmの古い屋並みが残る旧街道沿いをほのかな明かりで照らし出されます。千灯供養のお参りに合わせ多くの方々が散策されます。この行事が終わる頃から京都では、朝夕がグッゥ~ト涼しくなってきます。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-27 10:52

番外 国営ひたち海浜公園 (茨城 ひたちなか市 ) (2009年08月26日)

茨城県の県北、ひたちなか市(水戸市と東海村に境を接し東は太平洋鹿島灘の砂丘に面している)にある日本の国営公園として事業化された「国営ひたち海浜公園」に行って来ました。最近、ここでは毎年8月に’Rock in Japan Festival’が恒例行事として催されるようになり、少しは名前が知られ出しています。
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ここは元々、戦後の駐留米軍の水戸射爆撃場として接収されていた、とてつもなく広大な敷地の一部で、1970年代初期に返還された跡地で、これに対する国の「首都圏整備計画」に基ずく事業の一部として総面積350ha(甲子園球場敷地全面積の約88倍)に及ぶ巨大公園として整備されたものです。1979(昭和54)年計画開始、1984(昭和59)年着工、1991(平成3)年に計画の約20%の範囲が開業したものです。その後も継続して拡張されていますが、現在では当初計画の約半分弱まで事業化が進んでいるということです。またこのエリヤへは常磐道→北関東自動車道→東水戸道路が全通しており、終点のひたちなかICから直接乗り入れることが可能で、その周辺もそれぞれの開発事業が進んでいます。主なものは外洋港(重要港湾)として茨城港(旧仮称常陸那珂港)、東京電力の常陸那珂石炭火力発電所などが営業運転に入っています。また公園に隣接した地区では、北関東一の規模をもつ大型商業施設群としてジョイフル本田ニューポートひたちなか店、FASHION CRUISE ニューポートひたちなか店、TOHO CINEMAS Hitachinakaなどが営業、スポーツ施設としては、ひたちなか市総合運動公園内にあり、ナイター施設完備、最大収容人数25,000人の観客席を誇るひたちなか市民球場(セ・リーグ一軍の公式戦あり)などがありますが、これらの施設は広大なエリヤのほんの一角で、全体的にはまだまだペンペン草が目立ちます。
さて公園に戻りますが、入園料は400円、園内は大きく4つのエリアに分けられて、その中はそれぞれ季節ごとに個性を演出した大型のお花畑や個々のアトラクションが設置されています。その広大な敷地を行き来するには整備されたサイクリングコースを自転車で移動するか(マイ自転車持ち込み可)、園内シャトルバス「シーサイドライン」を利用することになっています(ハイキング的な徒歩では一日で回りきれません)。その4つのエリアとは、西口エリア(四季の彩り鮮やかな大型のお花畑が主体)。草原エリア(約8haの芝生の広場、スポーツ、体を動かして楽しめるエリヤ)。砂丘エリア(自然を感じることができる各種ガーデンがある)。プレジャーガーデン(大観覧車を中心にした基本的にはお子様の遊園地とお花畑)などです。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-26 10:40

番外 「黒富士」 高速道1000円の旅 (於:東名 富士川SA、由比PA ) (2009年08月25日)

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by fushimi_no_occhan | 2009-08-25 16:33

百日紅(「京都市指定保存樹」) (伏見 清涼院 ) (2009年08月19日)

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徳川御三家筆頭格、尾張徳川家の初代藩主となった尾張大納言徳川義直公(1601-1650)、家康と側室お亀の方との間に生まれた第九子、幼名五郎太丸の出生地とされ、幼年時代をここで過ごしたとされる、かつては伏見城の御花畑山荘という御殿があったところ、桃山の丘陵の北西端、伏見区深草大亀谷五郎太町(藤城小学校の前)にある、御本尊阿弥陀如来を安置する浄土宗の尼寺、清涼院さんがひっそりと佇んでいます。今年も、このお寺さんの門前を覆ってる「京都市指定保存樹」、百日紅の鮮やかな真紅の花が咲き出しました。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-19 10:00

燈明会 (東山 高台寺 ) (2009年08月18日)

太閤秀吉の正室北政所が太閤秀吉の菩提を弔うため、建立した東山の高台寺さんもお盆のこの時期、庫裏前の門前庭園を中心に、献灯提灯が飾られ、夕刻よりこれらに火が点され燈明会が行われています、境内では夜間特別拝観も実施されていますが、概ね7月の行事、七夕会と同じだろうと、拝観はしませんでした。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-18 10:14

盂蘭盆施餓鬼供養 夜万灯会供養 (東山 霊山観音 ) (2009年08月18日)

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昨日の五山送り火で今年のお盆の行事も終わり、京都の夏も終盤を迎えています(かっこよく情緒的に言っていますがまだまだ茹だるような暑さです)が、お盆の時期に撮り貯めた各所お盆の行事の中から、もう2題ご案内します。その一つに、東山の高台寺前の大駐車場の東側、東山連峰霊山の麓にある霊山観音さんは、平和日本の建設と殉国の英霊並び大戦による犠牲者の冥福を祈念する為に故石川博資氏(イングリッシュポインターがトレードマークの帝産オートオーナー等の実業家)による建立で、境内奥中央に、構造が鉄骨枠組表面ショットコンクリート打工法による全高24mにもなる昭和の大観音坐像坐像(1955(昭和30)年開眼)が鎮座されています。東山連峰の中腹、清水寺の北側に位置し、屋外に鎮座の観音様ですので市内の遠くからでも、コンクリートむき出しの白いお姿が確認できます。その霊山観音さんでは、8月の行事で盂蘭盆施餓鬼供養が営まれていますが、お盆のこの時期には夜万灯会供養が厳修されています。薄青色にライトアップされ、漆黒に浮かぶ観音様のお顔が一際優しく感じられます。
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by fushimi_no_occhan | 2009-08-18 10:10