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鞍馬寺毘沙門尊天の胎内仏 (東山 建仁寺塔頭 両足院&毘沙門尊天堂 ) (2009年06月30日)

建仁寺さんの広大な境内、中央本坊伽藍の周囲には塔頭寺院など多くの寺院が取り囲んでいます。先の興雲庵とは反対の北東の角、花見小路通の突当りに建仁寺さんの北総門があります。門を入ると直ぐ正面に山内塔頭寺院の西来院さんがありますが、その南隣に塔頭寺院の両足院さんの守護神としての毘沙門尊天堂があります。両足院さんについては6月24日の当ブログをご覧いただきますが、この両足院さんの毘沙門天堂に祀られている毘沙門尊天は、もともとは鞍馬寺毘沙門尊天の胎内仏だった由。
時は戦国時代、信長が比叡山を焼討ちにしたとき、鞍馬寺の僧が室町幕府御用達の茶人比喜多養清のところへ疎開させていたものを、戦国武将黒田長政が関ヶ原の合戦では、家康側東軍として出陣したとき、この毘沙門天を内兜に収めたと云われています。その後、尊天は代々黒田家で祀られていたようですが、1877(明治10)年両足院に寄進されたとの御由緒です。こちらの境内の狛犬は虎の狛犬で、寅年の人の守護本尊とされています(残念ながら画像がありません)。ご利益は勝利の神さんとして崇められ、商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就とのこと。また土地柄「祇園の縁結び」とも称され祇園の芸舞妓さんの誓願成就のお参りが絶えないとのことです。
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本日までの建仁寺さんの塔頭寺院三ヶ寺をご案内してきましたが、いずれもそれぞれ守護神を祀っておられます。毘沙門尊天、陀枳尼尊天、魔利支尊天の神々ですが、現代では神様、仏様、それぞれを祀る場所も神社、寺院とはっきりと区別されています。これは明治維新以降、明治政府が取った措置、神仏分離、廃仏毀釈によるもので、それ以前は神仏のはっきりとした区別は無かったと言われています。現在でも多くのお寺さんの境内には必ず、お稲荷さんをはじめとする神々を祀る祠がありますし、神社境内の片隅にはお地蔵さんを祀っている社もあります。そうそう、建仁寺さん御本体も守護神がありました。現在は建仁寺さんの山外で、特に御由緒を知らぬままでは、お寺さんとはまったく関係ない神社ですが、大和大路通を八坂通の角から少し北へ行ったところに、建仁寺山内東側にある開山堂と真正面の位置に対向しているのが、1月10日の十日恵比寿で賑わう京都恵比寿神社です。この京都恵比寿神社は、もともと建仁寺さんの開祖栄西禅師の守護神である恵比寿神を祀る恵比寿社だったのです。明治政府の神仏分離令で恵比寿社は建仁寺と分離され京都恵比寿神社として独立されたと伺っています。また京都恵比寿神社のある付近まで元は建仁寺境内だったようですが、これも廃仏毀釈などの影響で公に割譲され、現在の寺域となったとのことです。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-30 10:23

寺院か神社か (東山 建仁寺塔頭 興雲庵&陀枳尼尊天堂 ) (2009年06月29日)

建仁寺さんの広大な境内、中央本坊伽藍の周囲には塔頭寺院など多くの寺院が取り囲んでいます。禅居庵さんとは反対に北西の角、花見小路通から大和大路通に抜ける路地、建仁寺本坊北側の築地塀が途絶えたところに興雲庵さんとその境内に、あまり馴染みの無い、興雲庵の鎮守稲荷とされる陀枳尼(だきに)尊天堂があります。
興雲庵は開基を石梁仁恭とし、創建した当初は臥雲庵と号したとのこと。天文の乱(1536)、天明の大火(1788)などで被災していますがその後再建されたとなっています。同境内には興雲庵の鎮守社とされる「京都の豊川稲荷」陀枳尼尊天を祀る陀枳尼尊天堂があります。これは高台寺を臨済宗寺院として中興され、当庵の中興の祖でもある三江紹益禅師、その両親が深く崇敬されてた霊神で、本人も生涯の守護神とされ、興雲庵の中興に当たって、この地に勧請し、長く鎮守として祀られたと伝えられています。
ところで、このあまり馴染みの無い、陀枳尼尊天とは数種類の漢字(陀枳尼天、荼吉尼天、押枳尼天、他にも)が当てられており、元来は女夜叉鬼で人を呪うという恐ろしい鬼であったが仏教に帰依してからは福財をもたらす神として崇められるようになったと云われている尊天で、我国では平安期を境に稲荷神と同体説が言われるようになっています。平たくいえば原始稲荷明神とでも理解して於けば良いのでしょうか、難しいことは良く分かりません。オッチャンの知る範囲では、京都ではこの陀枳尼尊天は、左京区吉田山の麓にある真如堂の門前右手、また伏見区醍醐にある善願寺(腹帯地蔵尊)にも祀られていると思います。一方「豊川稲荷」ですが、日本三大稲荷(京都市伏見区の「伏見稲荷」、愛知県豊川市の「豊川稲荷」、茨城県笠間市の「笠間稲荷」 )の一つと言われていますが、通称名の「豊川稲荷」は神社ではなく寺院で、正式には円福山 豊川閣 妙厳寺と号す、御本尊千手観音立像を祀るお寺さんです。世間では「豊川稲荷」の名で広く知られるその「稲荷」とは妙厳寺の鎮守社として祀られる荼吉尼天とのことです。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-29 10:33

桔梗 (東山 建仁寺塔頭 禅居庵&魔利支尊天堂 ) (2009年06月28日)

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建仁寺さんの広大な境内、中央本坊伽藍の周囲には塔頭寺院など多くの寺院が取り囲んでいます。その中で、放生池の西側、境内西南の角にある、杉苔が美しい本堂前庭には今、桔梗が満開の山内塔頭寺院の一つ禅居庵さんを訪ねました。禅居庵さんは非公開寺院ですが書道展などが開かれている時よく訪ねていますが、今朝は催し物は無く、境内はひっそりとしていました。桔梗の花が元気一杯でした。禅居庵さんは1326(嘉暦1)年に北条高時の詔請による中国からの渡来僧大鑑禅師(建仁寺第23世住持清拙正澄(1274-1339))退隠の塔頭寺院で、小笠原貞宗の創建(元弘年間)と伝わります。禅居庵と境内続きで南側、八坂通りに面して猪の狛犬でお馴染みですが、禅師により中国よりもたらされた古代インドの女神という、摩利支尊天を祀る魔利支尊天堂があります(日本三大魔利支尊天堂の一つ)。亥年生れの人々の守護本尊として信仰され、開運・勝利などの功徳があるとされています。堂宇は天文の兵火で焼亡していますが、1547(天文16)年信長の父信秀の寄進により再建、京都府指定文化財に指定されています。海北友松筆「紙本墨画松竹梅図」(重文)を所蔵。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-28 17:45

日本最古の禅寺 (東山 臨済宗建仁寺派大本山 建仁寺 ) (2009年06月27日)

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祇園花見小路の南の突き当たり(東山区大和大路通四条下)にあり、花街とは趣を180度異にする大きなお寺さんがあります。これが臨済宗建仁寺派大本山の建仁寺さんで、東山と号し日本最古の禅寺、臨済宗京都五山の第3位に列せられていたお寺さんです。本尊は釈迦如来、開基は鎌倉幕府の第2代将軍源頼家、開山は栄西禅師(1141-1215)で1202(建仁2)年の建立、修行先の中国宋の百丈山にならったもので、寺号は年号からと伝えられています。最盛期の室町期には塔頭寺院60余ヶ寺を擁していたと伝わります。しかし京都の他の寺院と同様に応仁の乱などの戦火で伽藍は焼亡、大部分は江戸期に復興したものです。境内には勅使門(重文)、放生池、山門(望闕楼)、法堂、方丈(重文)が一直線の禅寺としての代表的堂宇配置。その東側には、先日ご案内した塔頭寺院の両足院、その南隣は開山栄西禅師の入定塔(墓所)である開山堂(非公開)、さらにその南側に禅寺特有の浴室(2002(平成14)年に復元)があります。
有名な俵屋宗達の紙本金地著色二曲一双の「風神雷神図屏風」(国宝 複製展示)、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝えます。また法堂には、2002(平成14)年に創建800年を記念して、それまで何も描かれていなかった天井に小泉淳作筆の「双龍図」が描かれていますが、まだ新しい絵画故、構図がはっきりと見え大迫力の感があります。拝観の人たちは入堂のとき思わず感嘆の声を上げています(オッチャンはすでに数回拝観させていただいているため声は上げていません)。
建仁寺さんの山外塔頭で著名なお寺さんとして、豊臣秀吉、北政所を祀る高台寺や、八坂の塔のある法観寺(末寺)があります。境内は栄西が持ち帰ったと言われている茶の木が今も生垣としてつかわれており、日本茶の発祥の地でもあります。開山堂の前にその茶碑があります。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-27 10:35

山桃&紫陽花 (伏見 金剛王院(一言寺) ) (2009年06月26日)

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旧奈良街道を醍醐寺門前から少し南下したところ、醍醐中学の角を左折し東へ緩やかな坂道を行くと、寺院へ上る急な階段に当たります。石段を登り詰めた高台に佇むのが醍醐寺別格本山、正式寺号を金剛王院と号す、通称「一言寺」さんと呼ばれているお寺さんがあります(伏見区醍醐一言寺裏町)。普段は訪れる人も少なく、ひっそりと笠取山の麓の竹薮に囲まれて佇むお寺さんです。山門を潜ると真正面に御本尊千手観音菩薩像(秘仏 33年ごとの御開帳)と阿波内侍坐像を安置する本堂があります。
一言寺の由来は、秘仏千手観音菩薩像は一心に念じれば願いごと(一回一件厳守)が即座に叶うという「一言観音」の信仰から崇敬されてきたことによります。
・・・「ただたのめ、仏にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」・・・ だそうです。
創建は開基となる阿波内侍(少納言藤原入道信成の息女(出家名 真阿)、建礼門院徳子(1155-1213 平清盛の娘 寂光院)の生涯を看取った侍女、京漬物「しば漬」の元祖 )が清水寺本尊の霊告を受け縁者をたよりにこの地に建立したのが始まりとされています。以降、次第に衰退しており、1874(明治8)年には一言寺を廃絶、お隣の醍醐寺醍醐三流の一つ金剛王院流を移し復興、そして1895(明治28)年に醍醐寺別格本山金剛王院となり現在に至るという御由緒です。
本堂は、1810(文化7)年の再建。江戸期を代表する建築物の一つだそうです。境内は本堂の前面左手、山門脇に鐘楼、その奥に賓頭廬さんが護る地蔵堂があります。その手前の池畔には弁才天が祀られています。
山門脇に鐘楼前には市の登録天然記念物に指定されている山桃(ヤマモモ科、雌雄異株の常緑樹の高木)の雌木の老大木があり、この時期、熟した黒赤色の実(食用可)が沢山なっており、一部はボタボタと落ち始め周囲の地面は熟した実がいっぱいでした。また弁天池周囲の紫陽花も美しく咲き誇っていました。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-26 10:34

桔梗 (東山 東福寺塔頭 天得院 「桔梗を愛でる特別拝観」 ) (2009年06月25日)

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東山区本町15丁目の本町通に面してある東福寺中大門から日下門に通ずる参道の日下門前左手、東福寺山内にある臨済宗東福寺派大本山、東福寺の塔頭寺院群の一つで万松山と号す天得院さんがあります。南北朝期の正平年間(1346-1370)に東福寺住持第30世無夢一清禅師が創建したお寺さんです。その後の1614(慶長19)年東福寺第227世文英清韓長老が当山の住持の時、豊臣秀頼の請に応じ、門前の本町通を真直ぐ北へ、七条通と五条通の中間辺りの正面通の東端にある方広寺の大梵鐘の鐘銘を撰文した際、あの「国家安康」「君臣豊楽」の文言に対し、「家康」を分断し、「豊臣」の繁栄を祈念するものであろうと、徳川家康が難癖をつけ、豊臣政権の崩壊の切っ掛けとなった事件。そのことにより、当院は破却されたという因縁あるお寺です。その後1789(天明9)年になってようやく堂宇が再建され、現在に至っているとのことです。本堂と同棟の庫裏と棟続きの書院があるのみの小さなお寺ですが、知る人ぞ知る京都でも屈指の花の寺といわれており、四季折々の花が楽しめます。最も有名なのが、この時期に本堂前、苔が一面に覆う枯山水庭園庭に咲く桔梗です。別名「桔梗の寺」とも呼ばれています。6月の中旬から7月の中旬頃まで「桔梗を愛でる特別拝観」が行われ、同時に夜間のライトアップも企画されています。今年は夜間のライトアップに行って来ました
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-25 10:20

半夏生(はんげしょう) (東山 建仁寺塔頭 両足院 夏季特別拝観 ) (2009年06月24日)

京都を代表する花街、祇園花見小路の南端に、北総門のある、開祖栄西禅師を開山とし1202(建仁2)年に創建、室町期には臨済宗京都五山の第三位に列せられている臨済宗建仁寺派大本山、山号を東山と号す建仁寺さんがあります。その山内塔頭寺院の一つで本坊伽藍の東側に両足院さんがあります。このお寺さんは普段は一般には非公開で、事前申込で拝観を受け入れられておられるようですが、庭園内に自生している珍しい草花、「半夏生」というドクダミ科の多年性落葉草の葉が白粉(おしろい)を塗ったように白くなる梅雨の時期、夏季特別拝観をやっておられます。これまで建仁寺さんへは幾度となく足を運んでいますが、両足院さんの拝観は初めてです。
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両足院さんは、本坊建仁寺開山の栄西禅師の法脈である黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師を開祖とする黄龍派寺院系の一つ「知足院」を継ぐ別院として建仁寺開山堂内にあったとのこと。天文年間の火災後、知足院、両足院の両院を併せて現在の院号の両足院となったとのことです。当院は創建当初から学徳抜群の僧を輩出され室町中期までは「五山文学」の最高峰の寺院と位置づけられていたほか、明治期まで多くの歴代本坊住持を勤められるなど、臨済宗教義の中核を担う頭脳集団であったようです。安土桃山期から江戸期にかけては、禅宗でのお茶席で一緒に食べる菓子として饅頭を日本に伝えた、中国からの渡来僧林浄因の嫡流によって護持されていたようで、両足院さんの御朱印の墨は「饅頭始祖」とあります。
本堂方丈は、宸殿風前縁があり堂内内陣には御本尊阿弥陀如来立像を安置されています。庭園は、白砂と苔に青松が美しい唐門前庭、枯山水庭園の方丈前庭、そして京都府指定名勝庭園の池泉廻遊式庭園からなります。梅雨の時期、今頃は、半夏生が、池辺に生い茂り、夏に向かって徐々に葉が白粉を塗ったように白くなり、あたかも白い花が咲いた様に池辺を彩っています。池の北側には信長の実弟で茶人の長益(有楽斎)が同じく建仁寺塔頭寺院である正伝院に建造した茶室如庵(国宝 現:愛知県犬山市)の複製とされる「水月亭」、その右には六帖席の「臨池亭」があります。この臨池亭にてお茶をいただき、寺を後にしました。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-24 10:43

紫陽花祭 (伏見 藤森神社 雅楽奉納 ) (2009年06月23日)

伏見藤森神社の紫陽花祭、今年の期間中の行事の最後の演目になりました。午後1時からの蹴鞠奉納に続いて2時からは、藤森神社の鳴鳳雅楽会の皆さんによる雅楽の奉納演奏、舞楽(左舞:二人舞の打毬楽、一人舞の蘭陵王)の奉納演舞が行われ、今年の行事は終了しました。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-23 10:56

紫陽花祭 (伏見 藤森神社 蹴鞠奉納 ) (2009年06月22日)

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伏見藤森神社の紫陽花祭、第三日曜日は期間中の最後の行事日となりました。午後1時からは恒例の蹴鞠保存会の皆さんによる蹴鞠奉納です。境内中央の拝殿西側に四方を竹で囲まれた特設鞠場にて、本殿神事にて清められ、紫陽花の木の二またに挟み神職により運ばれた真っ白い鞠をもって古式ゆかしく行われました。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-22 10:32

竹伐り会式 (鞍馬山 鞍馬寺 ) (2009年06月21日)

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20日は京都の初夏の訪れを知らせる鞍馬寺の「竹伐り会式」に行ってきました。鞍馬寺は牛若丸(源義経)の幼年の修行地として伝わる鞍馬弘教の総本山、奈良の唐招提寺開祖鑑真和上の高弟鑑禎上人が770(宝亀1)年、この地(左京区北方の山間部)に毘沙門天王を祀ったのがはじまりとされています。
平安初期の寛平年間に峯延上人が護摩行中に、現われた大蛇を仏法の力で倒した故事に因み、青竹を大蛇に見立て伐る「竹伐り会式」という千年の古儀と称されるもので、蓮華会とも云われます。現在行われている会式の様式は江戸期以降から受け継がれている様式で、東の「近江座」と西の「丹波座」と言う二座に分かれて青竹を伐る速さを競い、勝った地方が豊作になるという年占いになっています。午後2時、会式の始まりを告げる法螺貝の合図に続き、雅楽奏者を先頭に、導師以下衆僧、弁慶被りの僧兵姿の法師らが本殿に向かって行道、本殿内にて法儀の後、法師たちは本殿前舞台で「近江座」、「丹波座」それぞれに分かれ2人一組で対峙し、「七度半の御使」の儀式を受けます。次にそれぞれの座で用意されている直径15cmにもなる大竹を山刀で豪快に振り下ろし、長さ約5mほどに伐りそろえる「竹ならし」が行われます。これが終わると、舞台では舞楽の奉納舞が披露されます。演目は毎年変わります。今年は左舞といわれる朱色系の衣装と獰猛な仮面を付けた舞(還城楽)でした。そしてメインイベントは「近江座」、「丹波座」に分かれた2人一組の法師たちが、「檜扇の儀」といわれる導師のゴーサインで、先に伐り揃えられた青竹をいっせいに山刀を振り下ろして、竹を一節ずつ五段に伐り、本殿内に走り込み、勝負が競われました。
竹の切れ端は無病息災のお守りとされ、「地元の小学生が拾い集めていた」。・・・と新聞の記事になっていますが、小学生ばかりでなくオッチャンもオバチャンもいっせいに舞台に駆け上がっていました。毎年雨に悩まされる「竹伐り会式」ですが、今年は一時霧雨が降りましたが概ね良好の天候でした。
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by fushimi_no_occhan | 2009-06-21 18:09