<   2009年 03月 ( 32 )   > この月の画像一覧

京の桜便り2009 (伏見 醍醐寺 下醍醐境内の桜 (花見はやっぱり醍醐か!) ) (2009年03月31日)

c0119555_20442752.jpg
境内参道正面の仁王門から下醍醐境内に入ります。下醍醐の伽藍は、上醍醐と異なり笠取山の麓の広大な平地にあり、堂宇が疎らに点在(’ガラン’(伽藍)の語源にぴったり)しているといった感があります。それでも堂宇は(国宝)、(重文)級のたてもので、主なものは金堂(国宝、現在のものは秀吉が和歌山から移築したもの)、有名な五重塔(国宝、現存する唯一の創建当時からの建物でかつ最古の五重塔、951(天暦5)年の完成)、醍醐寺の鎮守社清龍宮本殿(重文)、また毎年2月23日の五大力尊仁会(五大力さん、力持ち大会も催される。)では堂前護摩道場で修験道柴燈護摩が焚かれる不動堂、最も奥には美しい朱塗りが池に映える弁天堂他があります。
c0119555_20444157.jpg
c0119555_20445088.jpg
c0119555_20445855.jpg
c0119555_2045647.jpg
c0119555_20451480.jpg
c0119555_20452253.jpg
c0119555_20453162.jpg
c0119555_20453998.jpg
c0119555_20454677.jpg
c0119555_20455445.jpg
c0119555_2046860.jpg
c0119555_2046223.jpg
c0119555_20463353.jpg
c0119555_20464173.jpg
c0119555_20465493.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-31 20:47

京の桜便り2009 (伏見 醍醐寺塔頭 報恩院の枝垂桜 (花見はやっぱり醍醐か!) ) (2009年03月31日)

醍醐寺境内、三宝院の正面の南北の参道の霊宝館の並びの南隣に塔頭寺院の一つ報恩院さんがあります。元は上醍醐の極楽坊を第35世座主憲深が報恩院と改名、活動拠点としていましたが、その後明治期になり現在地に移転したとなっています。此処では毎日午後堂内内陣前で護摩炊き法要が営まれていることで知られています。その本堂前に立派な大木の枝垂桜が満開近しになっています。
c0119555_20174671.jpg
c0119555_2017536.jpg
c0119555_2018220.jpg
c0119555_20181075.jpg
c0119555_2018192.jpg
c0119555_20182814.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-31 20:20

京の桜便り2009 (伏見 醍醐寺塔頭 三宝院の桜 (花見はやっぱり醍醐か!) ) (2009年03月30日)

c0119555_2052483.jpg
旧奈良街道に面している醍醐寺の西総門を入り、仁王門に向かう参道、直ぐ左手にある醍醐寺塔頭寺院の三宝院さん(醍醐寺の本坊的存在)。1115(永久3)年醍醐寺第14世座主勝覚の創建。応仁の乱の焼亡のあと、第80代座主義演により、太閤秀吉の援助のもと再興。桃山文化の頂点とされる絢爛豪華な表書院(国宝)などの多くの書院や堂宇を造営、その中でも、現在国の特別史跡および特別名称に指定されており、秀吉自ら設計したとされている三宝院庭園(作庭着工は「醍醐の花見」の後、完成は秀吉の死後、概観風景一切撮影禁止)などが知られています。そして、これがあまりにも有名ですが、1598(慶長3)年秀吉が北政所、淀殿ら女房衆と大観桜宴「醍醐の花見」を催したと云われている本山境内槍山の純浄観(重文)ですが、これを三宝院内に移築し現在の三宝院の伽藍構成が出来ていると言うことです。三宝院の桜はこの庭園内ではなく、三宝院の玄関前庭の枝垂桜、およびその西側にある憲深林苑の桜ですが、いま満開です。
c0119555_22401573.jpg
c0119555_2052343.jpg
c0119555_20524315.jpg
c0119555_20525578.jpg
c0119555_205332.jpg
c0119555_20531169.jpg
c0119555_20531942.jpg
c0119555_20532637.jpg
c0119555_20533316.jpg
c0119555_20534171.jpg
c0119555_20534831.jpg
c0119555_20535695.jpg
c0119555_2054359.jpg
c0119555_20541233.jpg
c0119555_20542038.jpg
c0119555_20542831.jpg
c0119555_20543594.jpg
c0119555_20544399.jpg
c0119555_20545211.jpg
c0119555_2055087.jpg
c0119555_2055879.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-30 20:55

京の桜便り2009 (伏見 醍醐寺霊宝館の枝垂桜 (花見はやっぱり醍醐か!) ) (2009年03月29日)

c0119555_21224711.jpg
醍醐寺霊宝館の枝垂桜です。ご案内のコメントは必要ないでしょう。一枚目と三枚目の画像は拡大がご覧いただけます。ここ数日、花冷えとかで肌寒く、どんよりと曇っており、桜ピンクと快晴の青空のコントラストは無理でした。
c0119555_2123220.jpg
c0119555_21231184.jpg
c0119555_21232845.jpg
c0119555_21233891.jpg
c0119555_21235061.jpg
c0119555_21235818.jpg
c0119555_2124663.jpg
c0119555_21241556.jpg
c0119555_21242383.jpg
c0119555_21243119.jpg
c0119555_21244174.jpg
c0119555_21245058.jpg
c0119555_2125193.jpg
c0119555_2125980.jpg
c0119555_21251783.jpg
c0119555_21252527.jpg
c0119555_21253394.jpg
c0119555_21254177.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-29 21:27

京の桜便り2009 (山科 大石内蔵助隠棲縁の地 大石神社の大石桜(枝垂桜) ) (2009年03月28日)

c0119555_189513.jpg
ご存知、播州赤穂藩の城内家老大石内蔵助が城明渡後、1701(元禄14)年7月~1702(元禄15)年9月まで、主君浅野匠守の仇討ちの策をめぐらすため、内蔵助の縁者をたより、居宅を構え隠棲した縁の地に、浪曲師の吉田奈良丸が内蔵助を祀る神社の創建を発議し、1933(昭和8)年に大石神社として設立の認可を得て、1935(昭和10)年に竣工した神社です。1937(昭和12)年に府社に列せられています。この地は東山三十六峰稲荷山の東面の麓で、最近、近くに阪神高速8号京都線の稲荷山トンネルの山科側出入口が出来たことにより、付近の道路事情が整備され、足の便がスムーズになりました。
その大石神社の社殿前の容姿の整った枝垂桜(大石桜)が今年も満開になっています。
c0119555_1892347.jpg
c0119555_189321.jpg
c0119555_1893921.jpg
c0119555_18947100.jpg
c0119555_1895749.jpg
c0119555_1810648.jpg
c0119555_18101588.jpg
c0119555_18102728.jpg
c0119555_18104334.jpg
c0119555_18105163.jpg
c0119555_18105935.jpg
c0119555_1811756.jpg
c0119555_1811141.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-28 18:12

なんとなく吉田界隈逍遥 (レトロな関西日仏学館 ) (2009年03月27日)

c0119555_104032100.jpg
京大の京都大学総合博物館と東大路通を挟んだ真向かい西側、左京区吉田泉殿町に、ちょっと小ジャレた白い洋館を見つけました。これは現在関西日仏学館として使用されている建物で、全国的には在日フランス大使館傘下の日仏文化交流を目的とした日仏協会近畿ブロック所属の京都日仏協会の建物と言うことです。1936(昭和11)年の竣工。フランスの建築家で「コンクリートの父」と呼ばれたオーギュスト・ペレの弟子レイモンド・メストラレの設計、大阪の建築家木子七郎の施工のチームで造られた鉄筋コンクリート造3階建の構造です。白一色基調のシンプルで平面的なデザインですが、正面玄関の微妙なアールの付いた窓と玄関のひさしがなんともいえない優しさ、柔らかさを感じさせてくれる構造です。2003(平成15)年に改装。国の登録有形文化財に指定されています。建屋内では各種文化交流サークル活動が行われていますし、またカフェテラスもありますが、休日でしたので全て閉まっていました。
c0119555_10404641.jpg
c0119555_10405462.jpg
c0119555_1041557.jpg
c0119555_10411473.jpg
c0119555_10412397.jpg
c0119555_10413049.jpg
c0119555_10413814.jpg
c0119555_10414750.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-27 10:42

なんとなく吉田界隈逍遥 (重森三玲庭園美術館 ) (2009年03月26日)

c0119555_21355390.jpg
なんとなく吉田界隈逍遥の途中、吉田神社参道の入口、東一条通と、一本南の近衛通の間、南北の幹線東大路通より二本東側の道のちょうど中間辺りの横丁、左京区吉田上大路町を東へ行くと、そこには弁柄塗りの旧家があります。ここがかつて重森三玲の京都の旧宅で、現在は公開されている「重森三玲庭園美術館」です。なんと半世紀前、一時期住んでいた二本松町の拙宅のあったところと2~300mも離れていないところです。重森三玲庭園美術館なるものが左京区にあることは知っていましたが、こんな場所とは知らず初めての遭遇です。で、重森三玲庭園美術館なるものは昭和期を代表する日本庭園の作庭家として有名な重森三玲(1896-1975)が、かつての吉田神社の社家鈴鹿家の旧宅(本宅が保年間、書院は寛政年間と伝えらる江戸期の建物)を譲り受け、自身の京都の住居とし、1950年前半から工事を開始し、自ら設計した二つの茶席(無字庵1953(昭和28)年、好刻庵1969(昭和44)年完成)を増築し、1970(昭和45)年頃完成させたというものです(書院、茶室は国の登録有形文化財)。オッチャンはすでにこの頃はこの地を離れていましたので判らないのも当然でした。施設への観覧入場は事前予約制とのことで内部には入れませんでしたが、日を改めて予約を入れて観覧したいと考えています。
重森三玲作庭の庭園は大小の自然石と苔をたくみに組み合わせた地割りのいわゆる枯山水庭園で、室町期から続く様式の日本庭園でありながら三玲独特の大胆なモダニズム感覚を融合させた、寺院の方丈庭園ですが、ポストモダンと呼ばれ現代モダン建築の庭園でもマッチする作品と思います。
c0119555_21361666.jpg
c0119555_21362581.jpg
c0119555_21363156.jpg
c0119555_21364115.jpg
c0119555_21365024.jpg
c0119555_21365939.jpg

京都の社寺の主な方丈庭園では以下があります。
東福寺本坊 方丈庭園
c0119555_21372451.jpg
c0119555_21373231.jpg
c0119555_21374275.jpg
c0119555_21375161.jpg

東福寺塔頭 普門院 庭園
c0119555_2138868.jpg

東福寺塔頭 龍吟庵 庭園
c0119555_21382820.jpg
c0119555_21383684.jpg
c0119555_21384942.jpg

東福寺塔頭 光明院 波心庭
c0119555_213991.jpg
c0119555_21391752.jpg

東福寺塔頭 霊雲院 庭園
c0119555_21394540.jpg
c0119555_21395647.jpg

東福寺塔頭 芬陀院 庭園
c0119555_21401258.jpg

大徳寺塔頭 瑞峯院 庭園
c0119555_2140337.jpg
c0119555_21404395.jpg

松尾大社 庭園
c0119555_2141231.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-26 21:45

京都大学 (吉田キャンパス レトロな校舎 ) (2009年03月25日)

c0119555_22104030.jpg
昨日は京大の卒業式。それとは関係ないですが、フラッと何の目的も無く、京大の有名な時計台のある本部はじめ、大学の中枢機能が集積している吉田キャンパスを吉田神社参道へと通じる鳥居のある東一条通から近衛通付近辺りを散策しました。と言うのは凡そ半世紀前、一時期この付近(二本松町)に住んでいた関係で、少しは土地勘があるためなんとなく足が向きました。しかし土地勘があるとはいえ、半世紀前とでは、キャンパス内、自分の住んでいた(と思われる)辺りもほとんど変わってしまっており、昔の面影を探すのに一苦労でした。そんな中でも、キャンパス内で、かつての面影を残すレトロな建物が残っており懐かしくカメラに収めました。他にもあるんですが、とりあえず3つの建物についてご案内します。
京大の吉田キャンパスはその前進の旧三高から京大設立以来のキャンパスで、元は徳川尾張藩京都下屋敷のあったところ。その石垣が、今出川通の角、百万遍から東大路通沿いに今もキャンパスの外石塀として現存しています(新入生らのサークル活動への勧誘やアジ看板が所狭しと林立しており、石垣を探すのに一苦労)。
c0119555_22105762.jpg
c0119555_2211175.jpg


楽友会館
吉田キャンパスの南端、近衛通に面して、白壁に赤瓦葺、どこと無く南ヨーロッパのスペイン風の佇まいの趣を見せているのが、京都大学楽友会館です。京大創立25周年記念事業として建てられ、1925(大正14)年竣工、森田慶一技師による設計で鉄筋コンクリート造2階建、赤瓦葺です。かつては大学関係者、教授達の社交の場として使われていたものです。構造的にはY字型の柱に支えられた三日月状の玄関ポーチ屋根など、現在でも十分におしゃれな建造物として通じるものがあります。国の登録有形文化財に指定されています。
c0119555_22112245.jpg
c0119555_22113742.jpg
c0119555_22114836.jpg


学生集会所
吉田キャンパス、楽友会館の西側、東大路通と近衛通の北角にある古色蒼然とした2階建ての木造建築物で今も現役で学生のサークル活動に使用されている建物です。60年安保の時代、学生運動の拠点にもなっていたとか。ハーフティンバー様式の構造で、1912(明治45)年竣工の建物。元は旧三高の学生控所として使用されていたものです。建替えの計画があるそうです。
c0119555_22121086.jpg
c0119555_2212265.jpg


京都大学文化財総合研究センター資料館(尊攘堂)
吉田構内の西端、東大路通側にひっそり建っている建物。長州藩士品川弥次郎(明治期 子爵)が吉田松陰の遺志を受け継いで自邸内に設けた学舎。その後1903(明治36)年に京大に寄付され、移築されたものです。現在の吉田地区構内の新しい大型の校舎の片隅で、非常に可愛らしい建物に見えますが、和式ながら洋風意匠で、当時の擬洋風建築と言われている構造(龍谷大学大宮学舎と同じ分類)です。煉瓦建築にスタッコ仕上げ。国の登録有形文化財に指定されています。この建物の北隣には、最新のモダンな建物である、京都大学総合博物館なるものがあります。
c0119555_22124434.jpg
c0119555_2213214.jpg
c0119555_22131625.jpg
c0119555_22132927.jpg
c0119555_2213429.jpg


ところで東大路通の歩道に沿ってサークル活動の勧誘看板が林立していましたが、そんな中にこんな看板もありました。看板曰く、’京大で、なにしはんの?’。
c0119555_2214544.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-25 22:16

花灯路2009 (その3 石塀小路~ねねの道 ) (2009年03月24日)

c0119555_20333442.jpg
法観寺「八坂の塔」から高台寺方向へ進みます。高台寺前駐車場からの夜景はオッチャンの最も好きな眺望の一つです。今と通ってきた八坂の塔と京都タワーの新旧タワーが対比して見られる場所です。そしてこれも京都らしい風情の漂う石塀小路を回り、ねねの道を八坂方面、円山公園へと向かいました、丸山公園の桜は未だこれからです。公園内はライトアップも無くひっそりとしています。此処からはまた夜桜のときにご案内しましょう。
c0119555_20334790.jpg
c0119555_2034029.jpg
c0119555_20341047.jpg
c0119555_20342181.jpg
c0119555_20342949.jpg
c0119555_20343794.jpg
c0119555_20344618.jpg
c0119555_20345492.jpg
c0119555_2035127.jpg
c0119555_2035919.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-24 20:34

花灯路2009 (その2 法観寺「八坂の塔」ライトアップ ) (2009年03月23日)

c0119555_22305748.jpg
清水寺から産寧坂を経て高台寺方面へと向かいます。途中、京都を代表する情景でお馴染みの「八坂の塔」へ迂回します。八坂の塔は、かつて飛鳥期に聖徳太子による創建と伝えられ、大伽藍を擁する壮大な大寺であったとされる法観寺の伽藍構成の一つの五重塔です。現在は霊応山と号す臨済宗建仁寺派の管理下にあるお寺さんで、五重塔のほか太子堂、薬師堂を残すのみでかつての面影はありません。これらの堂宇も鎌倉期以降に立てられたもので、創建当時のものとしては五重塔の心礎が残るのみとのことです。この五重塔は足利義教が1440(永享12)年に再建したもので塔の高さ40mの本瓦葺和様建築。高欄は最上層の五層のみという珍しい構造で、現在京都市内に現存する4塔の五重塔(仁和寺、東寺、醍醐寺と法観寺)の一つです。
東山の花灯路のイベントの時期に合わせて、塔外部のライトアップと、初層の内部のライトアップによる一般公開(無料)が行われ、特に写真撮影の規制も無く拝観が許され、塔の心柱の四方に安置の仏像の配置など、普段お目にかかれない塔内の様子が手に取るように判ります。その初層内部に安置の仏像は、大日如来を中心とする五智如来像です。花灯路の散策を楽しむ若いカップルが、その仏像の前で思わず手を合わせている光景もありました。遠目には京都を代表する情緒ある五重塔ですが、その真下からライトアップされた塔を見上げると、かなり威圧感のある情景にかわります。
c0119555_22311034.jpg
c0119555_22311778.jpg
c0119555_22312677.jpg
c0119555_22313441.jpg
c0119555_22315674.jpg
この八坂の塔から西へ下っていく途中、数十メートルのところに「八坂の庚申堂」と云う朱塗りの山門のお寺さんがあります。天台宗の金剛寺というのお寺さんで「見ざる言わざる聞かざる」のお猿さん、また「吊るし猿」で親しまれており、日本の三大庚申に数えられているお寺さんです。この八坂の庚申堂を凡そ1200年前に創建したとされる浄蔵法師は、あるとき、傾きかけた八坂の塔を法力で元の状態に復元したとされ、人間を蘇生させる霊感力の持ち主の修験者だったと云われている人物だそうです。
c0119555_22321148.jpg
c0119555_22321990.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-03-23 22:31