御苑九門の周辺 (京都御苑の周辺散策 ) (2010年06月01日)

京都御苑には九ヵ所に御門があります。それらの御門は、幕末以前と1949(昭和24)年国民公園として整備された現在の御苑では一部でその向きが変更され、全て周囲の道路側に面しています。御門そのものは幕末以前からの高麗門型筋鉄構造で御所の遺構です。また一部の御門には幕末の動乱当時の弾痕が残っています(蛤御門)。それらの御門の両袖は境町御門を除いて、当時そうであったであろう石垣、あるいは築地塀でなく、透かし格子の玉垣になっています。北面は今出川通に面して今出川御門一ヵ所。東面は寺町通に面して、北側から石薬師御門、清和院御門、寺町御門の三ヵ所。南面は丸太町通に面して境町御門の一ヵ所。西面は南側から下立売御門、蛤御門、御苑内一般車駐車場への出入口である中立売御門、乾御門の四ヵ所あり、全部で九ヵ所で御苑九門とも言われています。全て自由通行可能です。これらの御門に沿って、北の今出川御門から時計回りにその周辺を散策します。
今出川御門
今出川御門から苑外、北へは正面が臨済宗相国寺派大本山相国寺への参道です。その両側、東側は同志社女子大学校舎、西側はかつては二本松薩摩藩邸で、現在同志社大学の今出川校舎です。その校舎と今出川通に挟まれて、この付近で唯一現存する公家屋敷の遺構、冷泉家住宅があります。御門から苑内、真南に進むと御所朔平門があり、通路東は桂宮邸跡、西側は糸桜で有名な近衛邸跡があります。
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石薬師御門
東側、寺町通に面して、最も北側の御門です。この付近には染井吉野や山桜、里桜の古木が多くあります。
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清和院御門
東面、寺町通の三ヵ所の御門の真中の門で、その直ぐ外側、北には三条実美を祀る梨木神社があります。苑内北側には染殿第跡があります。この付近一帯は、平安京当時の北東端で、摂関政治の礎を築いた藤原良房の屋敷「染殿第」があった所とされています。またここは、文徳天皇の妃で清和天皇の生母(良房の娘)の御所であり、清和天皇は譲位後ここに移られて「清和院」と称されたことから、清和院御門の名の由来です。ここには染殿井と呼ばれている井戸の遺構あります。通路の南側は大宮御所の築地塀が続きます。
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寺町御門
東側、寺町通に面して、最も南側の御門です。苑外は寺町通東側には、京都府立鴨沂高等学校の正門、旧九条殿河原町邸の遺構とされる御門があります。鴨沂高校は、1872(明治5)年前身の新英学級及女紅場が、日本で最初の女学校として旧九条殿河原町屋敷に設立されます。1900(明治33)年九条殿河原町屋敷から今の校地に移転し、1904(明治37)年京都府立京都第一高等女学校(京都一女)と改称。戦後の1948(昭和23)年の学制改革で現在の校名の男女共学になったという伝統ある名門校です。卒業生には女優山本富士子、俳優田宮二郎、女優団令子、女優加茂さくら、女優大信田礼子、一時在籍生には女優森光子、歌手沢田研二各氏他、多くの芸能人の名前があります。鴨沂高校の道を隔てて南には同志社の創立者新島譲の旧邸(同志社英学校の創立地)、続いて京都市歴史資料館があります。ここには「天明の大火」など、かつて京都で発生した大規模な災害の記録を今に残す古文書が多数収蔵されています。
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境町御門
九ヵ所の御門の中で、南側、丸太町通に面する一ヵ所の御門です。この御門は、唯一両袖に見張役詰所のある豪壮な構造をしています。苑内真北には御所(禁裏)南門の建礼門に通じ。通路東は鷹司邸跡(蛤御門の変で焼失、遺構はありません)、西側は九条邸跡で、その遺構の九条池、その畔にある茶亭拾翠亭、厳島神社などがあります。
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下立売御門
御苑西側に回ります。烏丸通に面して、もっと南にあります。烏丸通を挟んだ向かいには、菅大臣天満宮、平安女学院、日本聖公会 聖アグネス教会、平安女学院有栖館(旧有栖川宮邸)などが並びます。
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蛤御門(新在家御門)
御苑九門の中で最も知られている門でしょう。従来の正式名称は新在家御門という名で呼ばれる「開かずの門」でしたが、1788(天明8)年の「天明の大火」の時に初めて扉が開かれ、あたかも火に掛けられて口を開く蛤の様だという事で「蛤御門」と呼ばれるようになった御門です。1864(元治1)年に起こった事変では最大の激戦地となったことから、「蛤御門の変」と言われます。向かいには護王神社があります。さらに下長者町通を挟んで北側はKBSホールとホテル京都ガーデンパレスと並びますが、ここはかつての土御門内裏の跡といわれている所です。平安京の左京一条三坊九町にあたるこの地は、12世紀頃、源師時の邸宅として土御門第となり、さらに藤原顕隆が里内裏を営み鳥羽天皇から崇徳、近衛と三御代、24年間天皇の居所となった所です。しかし1156(保元1)年の「保元の乱」で失われます。鎌倉、室町時代には清浄華院がありましたが、秀吉政権下では京都の都市改造で寺町に移転(現在の清和院御門付近)、その跡地は大名屋敷があったようですが、江戸時代では1636(寛永12)年から1864(元治1)年の「蛤御門の変」で焼亡するまで、水戸藩邸があったところです(下長者町通に水戸藩邸跡を示す碑があります)。
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中立売御門
御苑内一般車駐車場への出入口の門となっています。
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乾御門
烏丸通に面して、もっと北にある御門です。当時の入口は今出川通に面していたようです。この御門の苑内、南側の宮内庁京都事務所の西側に「県井」(あがたい)という井戸の跡があります。昔、この井戸のそばに県宮(あがたのみや)という社があって、地方役人に登用を願う者達が、この井戸で身を 清めて県宮に祈願し、宮中に参内したそうです。この井戸は、京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)の一つとされていましたが、現在は枯井戸です。
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これで御苑九門を一周しました。お疲れさんでした。
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by fushimi_no_occhan | 2010-06-01 23:08


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