現存する桃山文化の遺構 (堀川花屋町 西本願寺 ) (2009年09月09日)

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西本願寺の御影堂、本堂(阿弥陀堂)等の寺院としての主要伽藍の並ぶ境内中央を境に西側半分は、住持以下幹部僧侶の居住区域になっていたもので、賓客の面会、接待のスペース(書院(対面所・白書院)、南能舞台など)、住持の執務のスペース(黒書院および伝廊、北能舞台など)となる建物が並んでいます。これらの建物はほとんどが桃山期の建築物ですべて(国宝)、(重文)指定の建築物です。またこれらの建物に囲まれて特別名勝に指定されている、江戸初期の枯山水庭園「虎渓の庭」があります。これらの建物は、高塀で囲まれており、また非公開故、高塀越しにそれらの屋根を垣間見る程度しか出来ません。建物はそれぞれ出入り口となる玄関が設けられていますがその中で、本瓦葺き入母屋造り、唐破風を設けた南面に、公式の行事などに際して、来賓を迎えるための大玄関があります。1760(宝暦10)年の宗祖親鸞聖人500回大遠忌の時には使用された記録があるそうです。大玄関の前には外路(北小路通)との出入門である大玄関門があります。1847(弘化4)年の建築で、左右に門番屋を持つ重厚な大名屋敷門で、十万石以上の大名家の家格に準じたものと言われています。
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この門の東側には、朝廷からの勅使を迎える勅使門(唐門、別名:日暮門 国宝)があります。入母屋造りの前後に大唐破風を配した黒漆塗に彩色彫刻を施した豪華な四脚門です。伏見城からの移築と云われています。爛熟期の桃山文化を象徴する工芸品とも評されています。
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そして境内東南の一角にはこれも、非公開ですが、極彩色を施した鐘楼(重文)、そして有名な飛雲閣(国宝 非公開、但し非定期的に期間限定で特別公開あり)があります。金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つといわれている飛雲閣は、鐘楼脇からその上層を見ることが出来ますが、東南隅の滴翠園の池に建つ三層柿葺きの構造。各層で建築構造が全て異なる変化に富んだ構造で、初層は唐破風と入母屋、二層は寄棟造りに千鳥破風、三層は方形造りといった構造です。最大の特徴は左右非対称の屋根の構造にあるとのこと。太閤秀吉の聚楽第の遺構ともいわれています。この建物の出入り口は滴翠園の池に面しており、出入りは舟を使うため、一階には舟入の間があるとのことです。飛雲閣から西側に渡り廊下で繋がっている柿茸寄棟造り高床式の黄鶴台という建物がありますが、その別棟として今風に言えばサウナ式の浴室(重文)が設えられています。
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本日ご案内している西本願寺の文化財は、すべて境内南側の築地塀に沿って集中しています。その築地塀の南は北小路通という細い露路のような東西の道があります。その南側は、真宗興正派本山 興正寺という浄土真宗お寺さんの境内になります。門前の堀川通からは、北隣の西本願寺の伽藍と一体の巨大な寺院群の様に見えますが、独立している本山寺院です(京都観光にこられら観光客に興正寺境内で西本願寺は何処なんですかと尋ねられたことが二度ほどあります)。そして興正寺さんのうしろ、南側は、浄土真宗本願寺派系の教育機関、創立1639(寛永16)年の龍谷大学の大宮キャンパス本部(大宮学舎 校内建造物はほとんどが(重文))があります。この学舎の建造物は日本の近代建築物として保存対象の建造物です。
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by fushimi_no_occhan | 2009-09-09 17:39


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