持明院統の拠点 持明院仙洞御所跡 (西陣 光照院門跡(常盤御所) ) (2009年08月07日)

c0119555_15552556.jpg
上京区新町通寺之内下ル安楽小路町に、山号を仏日山と号す浄土宗の門跡尼寺で「常盤御所」とも言われている光照院門跡さんがあります。小奇麗に整備された山門脇に「持明院仙洞御所跡」を示す石標があります。
元々この地には、鎌倉時代の歴代上皇の仙洞御所となった持明院家(藤原基家(1132-1214))の邸宅で、祖父基頼(1040-1122)が邸内に建立した持仏堂を持明院と号していましたが、後にこの堂宇を安楽光院と改め、邸宅名を持明院としました。基家の娘陳子(北白河院 1173-1238)は、高倉天皇の皇子守貞親王(後高倉院)の妃となり親王を邸に住まわせ持明院の宮と称していました。その後、皇子(後堀川天皇)に譲位し譲位後も1234(文暦1)年崩御されるまでここに住し、持明院の仙洞と称していました。次いで後深草天皇もここを仙居とされてから仙洞の因縁は、伏見、後伏見、花園、光厳、崇光、後光厳の諸天皇(上皇)へと続き、院政を執るなど、確固とした継承拠点が形成されていきます。この持明院仙洞御所を拠点として形成された持明院統(第89代後深草天皇の系統)と、一方大覚寺を拠点とした大覚寺統(第90代亀山天皇の系統)との対立が、世に言う朝廷の分立、「南北朝時代」をもたらしたもので、この地がその一方の旧跡です。その持明院仙洞御所は1353(文和2)年の火災で荒廃し、続いて応仁、文明両度の兵火で灰燼に帰し、その後、再建される事もなく御所内の安楽光院は、安楽行院とも称され明治初期に伏見区深草坊の町の深草十二帝陵の東に再興されています。
この持明院仙洞御所跡という歴史的な地に建つ光照院門跡さんは、元は1356(延文1)年後伏見天皇の皇女進子内親王(出家名 自本覚公)が室町一条北に天台・禅・律・浄土四宗兼学の道場として創建、光照院と称したのが当寺の起こりです。応仁の乱で焼失した後、荒廃した持明院殿跡である現在地に移転、再興されます。創建以来、代々の皇女が法脈を継いでおり、1789(寛政1)年に光格天皇が常盤御所の称号を与え、以降常盤御所とも呼ばれる様になります。しかし、享保年間以降、度々火災に遭遇しており、現在の本堂は1968(昭和42)年の改装で入母屋造り唐破風付、書院は京都御苑内の旧桂宮御殿の一部を移築したものとか。本堂には御本尊釈迦如来立像、開山自本覚公像が安置されています。また庭園は、樹齢五百年と伝わる五葉の松を配した枯山水庭園と言われています。由緒ある門跡寺院らしい静かな佇まいのお寺さんですが、非公開寺院で境内は高い黒塀に囲まれており、内部の詳細を知るすべもありません。現在、尼寺36所巡礼第2番札所にもなっています。また、華道「常盤未生流」の発祥の地でもあります。
c0119555_15564223.jpg
c0119555_15565033.jpg
c0119555_1556562.jpg
c0119555_1557468.jpg
c0119555_1557129.jpg
c0119555_15572126.jpg

[PR]
by fushimi_no_occhan | 2009-08-07 10:55


<< 梅雨明けの伏見桃山城の空 (伏... 悲運の崇徳、淳仁両天皇を祀る社... >>