次いで、1873(明治6)年には、奈良期に起きた時の行政改革への抵抗とされる藤原仲麻呂の乱に連座したという謀略で淡路に配流され、そこで崩御された第47代淳仁天皇(配流により天皇格は剥奪、淡路廃帝と称せられていましたが、1870(明治3)年に明治天皇により第47代淳仁天皇として追号されたものです)の神霊を淡路(兵庫県南淡路市)から迎えて合祀され、現在に至っています。いずれも悲運の天皇とされる両天皇を祀る白峯神宮です。 [ 参考追記 ] 東山の祇園花街、花見小路の東側(甲部歌舞錬場の裏)に「崇徳天皇御廟」があります。白峯神宮さんは、この御廟の管理社でもあります。この御廟は、崇徳天皇の寵愛厚かった阿波内侍(建礼門院の侍女)が、天皇の遺髪をもらいこの地に塚を築き霊を慰めたと伝わるところです。さらに、この御廟のすぐ南に、悪縁切りの神様で、また毎年秋に行われ、女の時代祭とも言われている「櫛祭」でも有名な東山の「安井金比羅宮」があります。この神社も崇徳天皇が主祭神です。この両者は白峯神宮さんよりもずぅ~と以前からのものです。
by fushimi_no_occhan
| 2009-08-06 10:26
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