594(推古2)年に聖徳太子により創建されたという、お寺さんの草創期の御縁起よりも、「平家物語」に登場する平清盛の息女、建礼門院徳子(1155-1213)が、平家滅亡後隠棲した所縁の寺としてあまりにも有名なのが、ここ天台宗の正式寺院名を清香山寂光院玉泉寺と号す、通称寺院名寂光院さんです。御本尊は伝聖徳太子作の六万体地蔵尊(重文)。2000(平成12)年の不審火で焼損)。現在の御本尊は(財)美術院が復元したという新しい寄木造地蔵菩薩立像です。安置されている本堂も焼失後の再建です(再建に当っては、内陣および柱は、飛鳥様式、藤原様式および平家物語当時の様式に復元、外陣は1603(慶長8)年豊臣秀頼が、片桐且元を工事奉行として修復させた桃山様式を忠実に復元)。
建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の中宮、安徳天皇の生母)は、1185(寿永4)年壇ノ浦での平家一族の滅亡後も生存、その後落飾、真如覚比丘尼となり当山に入寺、侍女の阿波内侍(大原女のモデル、京の漬物「芝漬け」の元祖。菩提寺は伏見醍醐の一言寺)とともに平家一門と高倉、安徳両天皇の菩提を弔いこの地で余生を送っています。1186(文治2)年のある時、後白河法皇が寂光院を訪れ、建礼門院をたずねていることは「平家物語」の「大原御幸」の段において著され、物語の緒、「諸行無常」のテーマとなっているところです。 境内一帯は緑に覆いつくされていますが、本堂西側の心字池を中心とした庭園、北側の四方正面の庭の池畔には早くも秋の訪れを知らせる秋海棠が咲き始まっていました。
by fushimi_no_occhan
| 2009-08-05 10:29
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