近鉄京都線澱川橋梁 (日本最大級の長大ワンスパン単純トラス鉄橋 ) (2009年05月29日)

伏見には日本最大級の建造物があります。それは伏見の南部を東西に流れる宇治川に架かる大型の橋梁、近鉄京都線の前身奈良電気鉄道(通称:奈良電 開業当初は桃山御陵前駅-西大寺間)の鉄道施設として1928(昭和3)年竣工の「澱川(よどがわ)橋梁」です。径間=164.5m、高さ24.4m、使用鋼材(米国製)=約1,800tonという長大なワンスパンの単純トラス構造の鉄橋です。ワンスパンの単純トラスの構造の橋としては当時は勿論、現在においても日本最大級の鉄道橋です。2001(平成13)年には国の「登録有形文化財」に指定されていますが、同時に近代日本の産業遺構、あるいは第二次大戦の戦争遺構とも言われている鉄橋です。最近はこの鉄橋の東側の観月橋(旧国道24号線)から夕日をバックにシュリエットの鉄橋をカメラに収める多くの写真愛好家が見られます。
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当時、何故このような大規模な橋を建設したかについては、軍隊(旧日本帝国陸軍)あるいは伏見の地場産業(酒造り)との関係を無視するわけにはいきません。1908(明治41)年、当時伏見深草には陸軍第16師団司令部の本部(現 聖母学院藤森キャンパス本部)が置かれ、その師団隷下工兵第16大隊(駐屯地は伏見奉行所跡)が伏見南部一帯をその練兵場としていました。そして宇治川のこの付近一帯を架橋演習や渡河訓練の演習地であったため、練兵に支障を来すとのクレームにより途中橋脚を設けた一般的なガータ構造から橋脚のないワンスパンの単純トラス構造に設計変更され当時としては画期的な構造であったとされています。また開業当時の始発駅であった桃山御陵前駅からこの澱川橋梁間は、これも当時としては画期的な全線高架鉄道となっています。当時の伏見のメインストリート大手筋通を平面交差すればその踏切は、すでに100m西側にあった京阪本線の地上軌道の踏切と隣接しすぎるため、地上平面軌道が認められず、地下軌道の案もあったようですが、これには地場産業(酒造り)側から、地下水脈に影響があるとして猛反対にあい、最終的に高架軌道、澱川橋梁への直結となった経緯があったようです。結果的には現在の交通事情への対応のお手本のような鉄道施設です(この近鉄京都線、竹田-十条間は平成になって高架になり、竹田駅(京都市交と併用)付近と近鉄丹波橋駅付近(半地下軌道)を除き、京都駅から澱川橋梁まで高架化されました)。
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この付近には、他にも近代日本の産業遺構があります。それは琵琶湖疏水の終末、宇治川派流の水門の平戸樋門があります。さらにその東には、平安期から月見の名所でもあり、太閤秀吉がこの地に建てた最初の城も指月城と呼ばれていたように月にまつわる名前が多くあり、ここに架かる国道24号の橋も観月橋という名前がついています。その観月橋の橋の右岸袂には、近鉄京都線と直角に交差する京阪宇治線の観月橋駅があります。この駅の向こうには、月見館という現在も創業当時の面影をそのままに、純木造三階建ての大正年間に創業の温泉旅館があります。この旅館の宇治川畔から三十石舟の屋形船で川遊び、船宴会も楽しめます。
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by fushimi_no_occhan | 2009-05-29 10:20


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