京の桜便り2009 (西陣 信長上洛時の定宿妙覚寺 大門の紅枝垂桜 ) (2009年04月07日)

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本法寺から門前の小川通を北へ行きます。何処からとも無く、心地よいリズムの織機の音がする上御霊前通に出ます。ここを右折しちょっとで、上京区上御霊前通堀川東入ル下清蔵口町に日蓮宗の由緒寺院の一つ、山号を具足山と号す妙覚寺さんがあります。1378(北朝永和4)年妙顕寺の日実上人が、信徒小野妙覚の外護を受けて四条大宮に日像上人を開山に勧請し創建されたお寺さんです。洛中法華21ヶ寺(現在は16ヶ寺)のひとつ。本尊は十界大曼荼羅。創建後、1483(文明15)二条通衣棚(現烏丸御池付近妙覚町)に移転し。この頃から公家や武士、文化人、商人、町衆へと日蓮宗の信仰が拡大、浸透し隆盛ています。そこで1536(天文5)年、それまでの京の都での主流派であった比叡山延暦寺の天台宗との間での宗教騒乱、いわゆる「天文法華の乱」が勃発、これまで街中で勢力を拡大してきた日蓮宗寺院はことごとく焼き払われ、妙覚寺も他の日蓮系寺院同様一時堺方面へ疎開。1548(天文17)年帰洛が許され、旧地に寺を復興しています。そして妙覚寺は本能寺と共に寺との親戚筋との関係から信長親子らの上洛時の定宿となっていましたが、信長は寺の防御機能のより優れた本能寺に投宿するようになり、妙覚寺は嫡男信忠の定宿となっていました。そして1582(天正10)年の重臣明智光秀の謀反による「本能寺の変」が発生、これについては先刻ご承知の通り。この事件に巻き込まれた妙覚寺も同刻に焼失しています。
妙覚寺が現在地に移ったのは1590(天正18)年時の権力者になった太閤秀吉の都市改革令による寺院の大移動によるものです。そして1788(天明8)年の「天明の大火」で華芳塔堂と表門を残し堂宇全て焼亡しており、現在の建物は、その後暫時再建されたものとのことです。この妙覚寺表門(大門 京都府指定有形文化財)は左右に潜り門を配した薬医門風の造りで、聚楽第の裏門を移したと伝えらている山門です。表門の正面に祖師堂があります(現在補修工事中)。この表門(大門)前には優美な「紅枝垂桜」があり、その美しさはよく知られています。
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by fushimi_no_occhan | 2009-04-07 17:54


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